姉倉比賣神社

富山市舟倉2360(平成21年8月18日)

東経137度14分01.26秒、北緯36度33分40.40秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は67号線に面して鎮座しており、境内は寺家公園の中にあります。

 御祭神:姉倉比賣神
 由緒:この舟倉の地一帯は神代の昔から拓け、古事記・日本書紀によると紀元前三十年頃に姉倉比売がこの辺りの賊を征伐統治され、後に農耕と養蚕を地元民に広め特に機織の神として尊崇されたと記してある。
 神苑は老樹うつ蒼とした高陵に拝殿があり、また県の天然記念物に指定されている赤樫林に囲まれた本殿、そして入母屋造りの社務所がある。
 この社は昔の神佛混交の名残りを今に留め、本地仏虚空蔵菩薩を護持して三十三年に一度の御開扉が今も伝承されている。
(境内案内板より)

 倉比売神社(あねくらひめじんじゃ)は、富山県富山市にある神社である。姉倉姫神社とも表記する。
富山市内に同名社が2社(富山市呉羽町小竹1813・姉倉比賣神社、富山市(旧大沢野町)船倉2360・姉倉比賣神社)あり、どちらも式内社「越中国婦負郡 姉倉比売神社」の論社となっている。
どちらも旧社格は村社。
 祭神は姉倉比売神(あねくらひめのかみ)である。両社の社伝を総合すると、姉倉比売神は一帯の賊を征伐して、船倉山に居を構えて統治し、地元民に農耕、養蚕、機織などを広めた。姉倉比売神は能登の伊須流伎比古神(伊流岐比古神社の祭神)と夫婦であったが、伊須流伎比古は仙木山の能登比売(能登比売神社の祭神)と契りを交わしてしまった。怒った姉倉比売は船倉山の石を投げつくして能登比売を攻撃し、姉倉比売の妹の布倉比売もそれに加勢し、越国は大乱となった。
出雲の大己貴命が越国に赴き、その調停により乱は鎮圧された。姉倉比売は混乱を引き起こした罰として、領地を没収されて呉羽小竹に流され、土地の女性たちに機織を教えるよう命じられたという。
「婦負郡」という地名は姉倉比売神にちなむものであり、「呉羽」の地名も機織に関係のあるものである。
(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」より)

西参道入口 一の台輪鳥居
新旧二基の社号標
石段参道の様子
境内入口
境内入口にいる狛犬
吽には角があり、阿は口中に玉を含んでいます。やや太め。鬣や尾は大きく渦巻き、肉厚で派手め。口は大きく横に広がり阿吽共に綺麗な歯並びが良く見えます。
境内入口に立つ二の台輪鳥居
境内の様子
御神馬像 水鉢
拝殿
南参道入口
寺家公園の池 公園内の幸乃瀧