八幡宮

砺波市高波1788(平成21年8月20日)

東経136度55分40.94秒、北緯36度39分57.26秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
 この社は西宮森集落農事集会場に隣接して鎮座しています。

 御祭神:譽田別命
 由緒:垂仁天皇81年(51)の頃、阿彦という兇悪居り。暴悪増長限りを尽くしたれば天聽に達し、大若子命に阿彦討伐の勅命あり。命越後下向在り。越の小竹野に至、趾を留め詮議を凝らし給う処、白姥現れ八権布八折を授け給う。命教に従い、八鉾の幡を作り、阿彦を攻め給う。程よく阿彦討死し、乱を平け、凱旋し給う時茲祠を建て、八幡を納め給い、八幡宮と称え崇め来る。白鳳4年(657)、天武天皇より除蝗の御祈祷を社命あり。文武天皇より褒諭御下暢あり。天平年間(729〜749)越中国国司・大伴家持幣帛を奉る。仁寿元年(601)正六位を贈らる。貞観3年(861)従五位を贈らる。治承年間(1177〜1181)平教盛一千十余坪の地所を本社へ領せらる。因に言う。本村字神成田は旧社地にして、字八幡田は旧社領なり。後年、永禄年間(1558〜1569)天正年間(1573〜1592)二度の兵乱により荒廃し、今僅かに百坪以内の社地なるも、斯の如き由縁の社柄なり。

 社号標に「寿永2年(1183)5月、木曽義仲が当八幡宮に祈願。平惟盛の軍を倶利加羅峠に夜襲し、之を撃破せり」との縁起が書かれており、般若野から倶利伽羅峠へ進軍途中の木曾義仲が戦勝を祈願したと伝えられています。川田八幡宮とも宮森八幡宮とも呼ばれていて、毎年、祭礼の際に掲げられる大幟には「川田八幡宮」の社名が入っていたといいます。神社の東側に幅3mほどの平田川という川が流れていたため、川田という地名になったといい、「式内・礪波郡 長岡神社」の論社ともなっています。
 因みに論社は下記の4社があります。
  富山県小矢部市七社84・長岡神社
  富山県小矢部市五社3080・糸岡神社
  富山県砺波市高波1788・宮森八幡宮
  富山県砺波市高波1580・春日社
 

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社頭
社号標 入口に立つ台輪鳥居
境内の様子
自然石の立派な台座に乗る岡崎現代型狛犬
拝殿
本殿鞘堂