氷川神社

西東京市東伏見2-6-13 (平成29年4月22日)

東経139度33分59.93秒、北緯35度43分28.67秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線「東伏見」駅南口より徒歩数分の所に鎮座しています。

御祭神 須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命

御由緒
縁起創立年月日は不詳である。明治6年4月村社に列せられ、もと埼玉県浦和市大字蓮見新田字東浦に鎮座してあったが、昭和17年3月現在の地に遷座奉鎮した。現在の末社榛名神社が、此の地の元の氏神であり、永禄元年の創立と伝わる。
北多摩神社誌 より

榛名神社
小名平松にあり、村民の持、新編武蔵風土記稿>野方領>上保谷村>榛名権現社 より

地名の由来
蓮見新田(はすみしんでん)は、埼玉県さいたま市緑区の大字。現在人家は無く、芝川第一調節池の建設が進んでいる。
1730年に蓮見万之助が開墾し、1788年にその子である蓮見亭次郎が開拓した新田であることからこのように呼ばれる。さいたま市立浦和くらしの博物館民家園には市内最古の民家である旧蓮見邸が移築復元されている。
ウィキペディア  より

江戸時代下柳沢村の鎮守は榛名権現であった。明治時代、神社合祀が行なわれた際榛名神社も市内の尉殿神社に合祀されることになった。これに対し氏子が猛反発し尉殿神社に移されていた鳥居を奪い返した。しかし政府の政策に逆らった為榛名神社は正式な神社と認められず、下柳沢には鎮守の無い状態が続いた。
この問題を打開するため昭和17年(1942)埼玉県浦和市蓮見新田に村社として祀られていた氷川神社を当地に遷して村の鎮守とした。蓮見新田の氷川神社は氏子が数軒しかいなかったためとのこと。

西武新宿線「東伏見」駅の西隣は「西武柳沢」駅となっています。

保谷地名の由来。保谷氏が中心となって開発した村だからという説もあります。
東伏見地名の由来。町内にある東伏見稲荷神社にちなむ。
保谷氏館は、西東京市の東伏見稲荷が城(館)跡地と推定されています。

参道入口

榛名神社の鳥居

振り返って

境内

拝殿

鞘殿


榛名神社

床下