谷保天満宮

国立市谷保5208 (平成16年10月16日)
(平成17年11月12日再訪)

天満宮、いわゆる菅原天神社は全国いたるところにあり、関東でも湯島や亀戸の天神社が有名だが、ここ谷保天満宮は至って由緒正しいらしい。
道真公が太宰府に流されたとき、子の三郎道武もまた武蔵国府中に流され、道真が配流先の筑紫で没したと伝えられると、道武は嘆き悲しんで祀ったのが谷保天満宮の始めだそうだ。現在も谷保天満宮の神主は菅原道武の子孫と称する津戸氏が代々継いでいる。
一般に大きな天満宮は得てして派手さが目立つがこの神社は渋くしかも品格がある様に思えた。夫は勝手にこの神社を、その成り立ちからしても三大天満宮の一つと認めるとまで言っている。

この神社は去年の10月16日に参拝済みですが、狛犬ネットのメールにて吉野忠夫さんが、東京文化財ウィーク(11月3日〜13日)の時季には、谷保天満宮の重文「獅子狛犬」と大国魂神社の重文「木造狛犬」の特別公開があると書かれていたので、最終日になりましたが拝見させて頂きました。再訪の分は2ページ目でどうぞ。

江戸時代後期の狂歌師太田蜀山人がこの辺りを旅し『調布日記』を書いて、谷保天満宮についてこんな狂歌を詠んだ。
 「神ならば出雲の国に行くべきに目白で開帳やぼの天神」
陰暦十月には神神は出雲へ行かれて神無月になるというのに、谷保天満宮はこの月に目白で開帳した。何と野暮=谷保な天神さんだ、というわけで俗語の野暮天もここより起こる、という。

(明治21年9月吉日制作)

神社入口

参道、この後階段を降りる
境内が入口より低い神社は珍しい

御神水?修行用の滝?

タレパンダ状態の神使い
私はこういうのだ〜い好き

少し俯き加減で、来訪者を暖かく迎えてくれる様な江戸狛。
阿吽共子がいて、優しく添えた手が親心か?

重厚な拝殿

狛の木鼻

軒下にも遊ぶ狛が

拝殿の扉にも親子狛が楽しく集う

本殿上部に残る彫刻と彩色

再訪、神殿狛犬の写真はこちらでどうぞ