水天宮

中央区日本橋蛎殻町2-4-1(平成16年11月7日)

「情けありまの水天宮」と言われるように有馬家の江戸屋敷内にあった神社です。有名だけどどんな所?と気楽に立ち寄ったら、余りにも人が多いのでビックり!!夫と神社毎のこの人出の差はいったい何処から来るの?と首を傾げています。

御祭神
天御中主大神
安徳天皇
建礼門院
二位ノ尼
と由緒書きにありますが、ここも明治政府がちゃちゃを入れ天御中主大神を、押し込んだと思われます。壇ノ浦で敗れた平家の女官の一人が、入水された安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼の御霊をささやかな祠を建ててお祀りしたのが創めです。とチャント書いてあります。今でもそのままなのは、神社庁に遠慮でもあるのでしょうか。
平家物語の 先帝身投げのくだりに
「この国は粟散辺地とて、心憂き境にて候へば、極楽浄土とて、めでたき所へ具し参らせ候ふぞ」と、かきくどき申されければ、
山鳩色の御衣にびんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さううつくしき御手を合はせ、まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉て、「波の下にも都の候ふぞ」と慰め奉り、千尋の底にぞ沈み給ふ。悲しきかな、無常の春の風
安徳天皇は二位殿に抱かれて浪の下の極楽浄土という目出度き都へと旅立って行かれたようです。伊勢神宮と八幡宮に別れを告げ念仏を唱えながら入水した安徳天皇や二位ノ尼を神とは認めたくなかったのかもしれません。建礼門院はこの時助かり、京で出家した筈ですが、落ち延びた女官はきっと知らなかったのでしょう。由緒書きはこちら。

神社入口

鳥居の藁座に龍の彫刻

招魂社系だが阿は玉を、吽は子狛を持つブロンズ狛犬

大きな社殿

子宝いぬ

摂社群

摂社・紫灘神社

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