御祭神
天御中主大神
安徳天皇
建礼門院
二位ノ尼
と由緒書きにありますが、ここも明治政府がちゃちゃを入れ天御中主大神を、押し込んだと思われます。壇ノ浦で敗れた平家の女官の一人が、入水された安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼の御霊をささやかな祠を建ててお祀りしたのが創めです。とチャント書いてあります。だったら最初の天御中主大神を外せば良いのに。神社庁に遠慮があるのでしょう。
平家物語の 先帝身投げのくだりに
「このくにはそくさんへんどとまうして、ものうきさかひにてさぶらふ。あのなみのしたにこそ、ごくらくじやうどとて、めでたきみやこのさぶらふ。それへぐしまゐらせさぶらふぞ」と、さまざまになぐさめまゐらせしかば、やまばといろのぎよいにびんづらゆはせたまひて、おんなみだにおぼれ、ちひさううつくしきおんてをあはせ、まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐう、しやうはちまんぐうに、おんいとままうさせおはしまし、そののちにしにむかはせたまひて、おんねんぶつありしかば、二位殿やがていだきまゐらせて、「なみのそこにもみやこのさぶらふぞ」となぐさめまゐらせて、ちひろのそこにぞしづみたまふ。かなしきかな、むじやうのはるのかぜ」
安徳天皇は二位殿に抱かれて浪の下の極楽浄土という目出度き都へと旅立って行かれたようです。伊勢神宮と八幡宮に別れを告げ念仏を唱えながら入水した安徳天皇や二位ノ尼を神とは認めたくなかったのでしょう。

由緒書き。