於岩稲荷田宮神社

中央区新川2-25-11 (平成26年12月21日)

東経139度47分10.84秒、北緯35度40分17.41秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
当神社へは東京メトロの 日比谷線と、JR東日本の京葉線の「八丁堀」駅、又は日比谷線、東西線「茅場町」駅より徒歩10分弱の所に鎮座しています。当神社の御朱印は鐵砲洲稲荷神社にて受けられます。

御祭神 豊受比売大神・田宮於岩命

御由緒
於岩稲荷田宮神社は、四代目鶴屋南北の戯曲で、文政八年(1825)に初演された「東海道四谷怪談」の主人公、お岩の伝承を持つ神社です。社地は歌舞伎俳優の初代市川左団次の所有地であったと伝えられ、花柳界や歌舞伎関係などの人々の参詣で賑わいました。
境内の本殿横にある石造の鳥居は明治三十年(1897)一月に造立されました。花崗岩製のこの鳥居は、中央区に現存する中では二番目に古い鳥居です。鳥居の形式は「神明鳥居」に属し、柱下部には断面が花形の根巻と四角い台座が付いています。
鳥居の奥にある百度石は民間信仰である「お百度参り」のための石塔です。中央区内に現存する百度石のうちでは最古のものです。左側面には「大阪浪花座興行記念、四代目市川右団次」と刻しており、市川右団次がお岩の上演を記念して奉納したものです。戦前・戦後を経て、現在もこの百度石でお百度参りを祈願する人も少なくなく、庶民の信仰とともに生きています。
鳥居・百度石は共に中央区民有形文化財に登録されています。
平成11年3月 中央区教育委員会

四谷の於岩稲荷田宮神社(田宮家跡地)は明治12年(1879年)の火災によって焼失して中央区新川に移った。新川の於岩稲荷田宮神社は戦災で焼失したが戦後再建され、また四谷の旧地にも再興された。
ウィキペディア より

入口

手水舎

参道は鳥居の前で90度左に曲がります。

鳥居の対面に並ぶお狐様。嘗ては真っ直ぐに参道があったのでしょうか。

鳥居と社殿

神額

拝殿内部、奥に本殿

社殿右手の境内

中央区では二番目に古い鳥居。正面に百度石。

途中右手の手水石

百度石

百度石右手のお岩稲荷覆屋

社殿

神額

社殿正面

鳳凰

左右の脇障子

駐車場(右側)と脇入口

御朱印・若者が時間をかけて書きました。


四谷怪談(よつやかいだん)とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談。江戸の雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)が舞台となっている。基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもので、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が有名である。怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在する。

『東海道四谷怪談』(とうかいどう よつやかいだん)は、鶴屋南北作の歌舞伎狂言。全5幕。文政8年(1825年)、江戸中村座で初演された。
南北の代表的な生世話狂言であり、怪談狂言(夏狂言)。『仮名手本忠臣蔵』の世界を用いた外伝という体裁で書かれ、前述のお岩伝説に、不倫の男女が戸板に釘付けされ神田川に流されたという当時の話題や、砂村隠亡堀に心中者の死体が流れ着いたという話などが取り入れられた。
岩が毒薬のために顔半分が醜く腫れ上がったまま髪を梳き悶え死ぬところ(二幕目・伊右衛門内の場)、岩と小平の死体を戸板1枚の表裏に釘付けにしたのが漂着し、伊右衛門がその両面を反転して見て執念に驚くところ(三幕目・砂村隠亡堀の場の戸板返し)、蛇山の庵室で伊右衛門がおびただしい数の鼠と怨霊に苦しめられるところ(大詰・蛇山庵室の場)などが有名な場面となっている。
ウィキペディア より

毒を飲まされる前のお岩さん。(月岡芳年『新形三十六怪撰』)

提灯お化けとなったお岩さん。(葛飾北斎『百物語』)