被官稲荷社

台東区浅草2-3-1 (平成16年11月7日)

東経139度48分3.62秒、北緯35度42分43.23秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
 安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に祈願した、その効果があって病気全快、同二年、お礼の意味を込め、伏見から祭神を勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は不詳だが、被官は「出世」と解せば良いと言う。
 辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍をした。
 社殿は一間社流れ造、杉皮葺。創建以来のもの。間口約1.五メートル、奥行約1・四メートルと小さいが、覆屋を構えて保護している。覆屋は大正期の建築であろう。社前には「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居ほかがある。
台東区教育委員会

新門の名の入った鳥居。安政2年(1855)乙卯9月建立。平成20年再建。

神社全景

新門の名の入った灯籠

鍵と子狐を持つお狐様。知的なお顔をしております。拡大写真はこちら。
(大正6年(1917)8月建立)

社殿

先代様でしょうか

奉納鳥居

狐顔の絵馬

御朱印