成宗弁財天社

杉並区成田東5-29-4 (平成30年6月17日)

東経139度38分04.65秒、北緯35度41分39.74秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
参道入口は須賀神社の入口と同じ道路の面、須賀神社の西側に1軒挟んであります。

御祭神 素戔嗚命

御由緒
当社は、成宗村がつくられたのと同じ頃、水神様のご加護を祈って、湧水池(弁天池、現在、神社裏手の住友銀行社宅内)のほとりに建立されたのが始まりと伝えられていますが、詳細は不明です。ご神体は、鎌倉時代に江ノ島弁財天で焚いた護摩の灰を練り固めて作ったという伝説のある、素焼きの曼陀羅像です。
近世の当社は、近在の村々の水信仰の中心地で、日照りが続くと人々は雨乞いのため、弁天社にお詣りし、弁天池の水を持ち帰る習慣であったといわれています。近代になっても大正初期頃までは富士登山・榛名詣り・大山詣り等の際には、弁天池で水ごりをして、道中の安全を願ったということです。
この弁天池は天保十一年(1840)、馬橋村等が開さくした新堀用水の中継池として利用されましたが、その際池を掘りり上げた土で、富士講のための築山をつくりました。成宗富士と呼ばれた富士塚がそれです。この富士塚は、大正七年頃にとりこわされましたが、境内の大日如来像・惣同行の碑・浅間神社・手水鉢などは、かつての成宗富士のおもかげを伝えています。
また、鳥居前に残る石橋・水路跡は天保用水の名残りで、板型の用水路記念碑と共に貴重な文化遺産です。
当社は、弁天講中の人々により手厚く守られて来ましたが、現在は隣接する須賀神社役員により引きつがれ、維持管理されています。
杉並区教育委員会

裏手は弁天池の埋め立てでできたマンション。

拝殿、右・成宗五色弁財天と、その横は惣同行の碑。

神額

参道脇、中央は身替地蔵尊

成宗辨天講有志一同

手水鉢

浅間神社

大日如来像と御神木