東八幡神社

大田区矢口3-17-3 (平成28年4月8日)

東経139度41分53.09秒、北緯35度33分17.23秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
東急多摩川線「矢口渡(やぐちのわたし)」駅より多摩川方面へ徒歩15分程の所に鎮座しています。

(矢口の)渡
多摩川にあり、對岸小向村に達す、渡船は小向村より出す、百姓耕作の爲にはじめし渡りなり、(対岸は小向村(橘樹郡川崎領)ですが、)
對岸にも村内の地ありて、民家三十軒ばかり(村全体では「家数七十三軒」)はその地にあり
新編武蔵風土紀稿>六ク領>古市場村 より

御祭神 応神天皇

御由緒
見捨地一段八畝、本村耕地の内にあり、土人湯坂八幡とも東八幡宮とも呼、わづかなる祠なり、前に石の鳥居をたつ、祭禮は八月十五日なり。是も圓應寺持。
新編武蔵風土紀稿>六ク領>古市場村>八幡社 より

建長二年(1250)の創建にして、多摩川の河畔にあり、社殿は嘉永二年(1848)の再建である。徳川入府以来、土地の人は湯坂八幡と称し、二丁余のところに西八幡があり、明治四十四年(1911)当社に合祀し東八幡と称す。昭和二十年戦災を受け、同年仮社殿を建立した。
大田区の文化財〈第7集〉大田区の神社(大田区教育委員会 編)より

多摩川の土手より

手水石・大正十二年(1923)吉日・古市場消防組

拝殿

玉と子、江戸狛の代表のような江戸流れ。拡大写真はこちら。
(明治35年(1902)9月吉日建立)

拝殿内部

鞘殿

祭具庫


矢口の渡し跡
新田義興が、 矢口の渡しで延文三年(1358)討死したといわれるころの渡し場は、 現在の新田神社付近であったと思われ、多摩川は、今より東へ大きく湾曲していたと考えられる。
江戸時代に、平賀源内により戯作「神霊矢口の渡」が作られ、歌舞伎に上演されるに至り、この渡しは有名になった。
渡し場は、流路の変遷と共に、その位置をいくたびか変え、この付近になったのは、江戸中期からであると考えられる。
この渡しは、区内最後の渡船場として、多摩川大橋が完成する昭和二十四年(1949)まで利用された。
昭和五十年(1975)三月十九日指定 大田区教育委員会

川瀬巴水・東京二十景「矢口」(昭和3年作)

歌舞伎「神霊矢口の渡」