江東区亀戸3-6-1 (平成22年8月21日)
東経139度49分26.1秒、北緯35度41分59.2秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
JR亀戸駅から徒歩15分程の所に鎮座しています。通称「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」と呼ばれいます歌川広重も鳥居清長も浮世絵で亀戸の藤の花を描いていますが、私は藤まつりではなく御鳳輦渡御祭(4年に一度)の日に参拝しました。
御祭神 天満大神(菅原道真公)・天菩日命(菅原家の祖神)
御由緒
正保年間(1644〜1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。
御嶽神社
道真の教学上の師である延暦寺第十三代座主、法性坊尊意僧正を祀る。「卯の神」として知られ、正月初卯、二の卯、三の卯には、卯槌や卯の神札が授与される。
花園社
道真の妻である島田宣来子および14人の子供を祀る。寛文年間に筑前花園より勧請を受けたものである。安産、子宝、立身出世の守護神として信仰されている。
弁天社
寛文5年(1665年)7月に太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請したもの。その後、亀戸天神の心字池を上野不忍池に見立て、この社を「弁天堂」と呼んだことから、七福神の一つである弁才天として信仰されるようになった
紅梅殿
寛文2年(1662年)に太宰府天満宮の御神木である飛梅の実生を勧請したもの。現在の社は、昭和63年(1988年)に再建されたものである。
神牛殿
菅原道真は845年(承和12年)6月25日の乙丑年に生まれ、903年(延喜3年)に亡くなったが、葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定めた。その後、その場所に社殿を建立し、御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も乙丑年であった。また、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられている。
道真と牛との縁は深い。神牛(しんぎゅう)座像は1961年(昭和36年)、鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納された。
いずれもウィキペディアより
蔵前橋通りに面する参道入口
境内入口
太鼓橋(男橋)
横から
太鼓橋(女橋)
横から
参道と藤棚
拝殿
本殿
舞殿
宮神輿
藤棚とスカイツリー。このインターネット時代にこんなに高いタワーが必要なのだろうか。「時代錯誤」と云う言葉が浮かんでしまう。三年後には赤字で倒産といった事態にならない保証は何処にもないだろうに。
五歳菅公像&鷽の碑
うそ鳥は、日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥で、太宰府天満宮のお祭りの時、害虫を駆除したことで天神様とご縁があります。又、鷽(うそ)の字が學(がく)の字に似てることから、学問の神様である天神様とのつながりが深いと考えられています。
蔵前通りの鷽達
筆塚