荒川区南千住3-28-58 (平成22年1月13日)
東経139度48分41.9秒、北緯35度43分35.4秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
聖武天皇の神亀元年(724年)九月十一日、勅願により鎮座され、以来1280年余の歴史をもつ、区内最古の神社。
殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受姫大神(とようけひめのかみ)
御由緒
源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、蒙古襲来の折、鎌倉将軍家のお取次ぎによる必勝祈念の為の官幣のご奉納など大社として発展。江戸近世には社運さらに栄え、なかでも「夏越の大祓」は、江戸随一と称された。
東京都神社庁公式サイトより。
管理人の一言。
御祭神からも解るように、明治以前は「神明宮」だったようです。かつて「神明さん」の通称で親しまれていたようです。石浜神社公式サイトはこちら。
神社入り口
石浜城址
千葉胤賢は兄・千葉介胤直、甥・千葉介胤宣が馬加常義との戦いでは、兄とともに戦い、千田庄多古・志摩城にこもって戦った。しかし、胤直・胤宣らは相次いで自害。自らも城を脱出し、二人の子を逃したのち自害した。
兄弟は上杉氏を頼って武蔵国へ逃れ、兄・実胤は荒川沿いの赤塚城(板橋区)に、弟・自胤は隅田川沿いの石浜城(台東区)に拠って下総千葉氏と対抗、武蔵千葉氏となった。(実胤が石浜、自胤が赤塚という説(板橋区・城山熊野神社参照)もある)
境内
参道の岡崎型狛犬
拝殿
拝殿前の狛犬。渋いお顔の素晴らしい、江戸狛犬です。拡大写真はこちら。
真先稲荷神社
ご祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、天文年間に石浜城城主となった千葉介守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。
招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)
ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。
白狐祠(ほこら)。江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです。
神輿庫
神楽殿