曽我氏神社

名西郡石井町石井城ノ内993 (平成25年1月7日)

東経134度26分07.87秒、北緯34度03分17.77秒に鎮座。

この神社は、JR徳島線・石井駅の南西2km程の辺り、前山公園の北西すぐに鎮座しております。

御祭神 木花咲耶姫命・彦火火出見命

御由緒伝記
創立年代は明かならずも寛正五年(1464)と伝へらる。建久四年(1193)五月二十八日父親の仇討ち本懐を遂げ孝心忠節が武士の鑑として讃へられた曽我五郎時宗、十郎祐成の家臣鬼王団三郎(当村武知一族の先祖)が二人の冥福を祈り諸国を遍歴し当地に至り足を留め城ノ内木留の北端に小祠を建つ。藪根堂これ也。主家の尊崇篤かりし箱根権現の二柱の祭神と兄弟の霊とを合祀、其の後霊夢に感じ城ノ内字山下964番地ノ1に移した。この地を古曽我氏谷(古宮様)と称して居る。県天然記念樹バクチ打の大樹の附近。其の後寛永二年(1625)七月二十一日宮床を定め十一月二十一日現在地に移し、以来浄土寺別当職を務めた棟札等に導永(1703)雄隆(1752)豊州上人(1760)寛日蓮(1769)快巌(1815)法雲(1868)等の名あり。明治初年神佛分離により曽我氏大権現を曽我氏神社と改められた。・・・・
当社の本社説
一説に山梨県八代郡一橋村浅間神社(元国幣中社)とあるが、正しくは神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1箱根神社と思考される。この神社の境内社に曽我五郎、十郎
兄弟を祭る曽我神社があり、社宝に微塵丸の大刀(平安期備前長舟作曽我十郎が仇討に使用)又薄緑丸の大刀(平安期伝三条小鍛冶宗近作曽我五郎が仇討ちに使用)(いづれも重文)が社宝となっている(元国幣小社)。
境内由緒書き より

神社入口

石段 神額
境内入口左右、猫顔の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(明治7年(1874)甲戌7月21日建立)

拝殿

屋根上の飛び狛

拝殿内部

本殿


末社