箱根神社

正参道から神門へ

足柄下郡箱根町元箱根80ー1 (平成19年10月6日)

                 (平成19年11月11日再訪)

 この神社は箱根町元箱根の芦ノ湖畔に鎮座しています。この社は里宮で芦ノ湖の東岸、駒ケ岳の南麓の鎮座なのですが、元宮は駒ケ岳山頂に鎮座し、箱根園からロープウエイで8分ほどで行かれるそうです。
 国道1号線・成川美術館傍に一の大鳥居が建ち、300m程で元箱根信号傍に二の大鳥居が建っています。そこから更に湖畔沿いに進む事約500mに表参道入口、社号標と三の鳥居が建っており、杉の古木の中を平坦な参道が200m程続いています。湖水に建つ平和の鳥居から続く正参道の石段との合流地点に坂上田村麻呂縁の「矢立の杉」が聳えており、四の鳥居を潜ると老杉に囲まれて90段の石段登りが始まります。中程左側には「日本三大仇討ち」として名高い、曽我五朗十郎を御祭神とした曽我神社が鎮座しています。最後の階段を登り切ると、正面に籠神社系狛犬が護る神門が姿と見せ、神門・回廊に囲まれた中に、実に煌びやかな権現造りの社殿が建立されていました。

 御祭神:箱根大神(瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、木花咲耶姫命 )
 例祭日:歳旦祭・1月1日、元始祭・1月3日、芦ノ湖清祓式(湖水開き)・1月5日、紀元祭・2月11日、祈年祭・2月17日、節分祭・2月節分(追儺式・湖上鬼追)、春分祭・3月21日、春季慰霊祭・3月21日、御衣祭・5月立夏、大祓(水無月大祓・茅の輪神事)・6月30日、清祓式(湖水清祓)・7月31日、献燈祭・7月31日、湖水祭(湖水神事)・7月31日、例大祭・8月1日、講社祭・8月1日、殉国学徒慰霊祭・8月2日、御神幸祭・8月2日、大神輿渡御・奉幣祭・8月3日、後宴祭・8月6日、公魚奉献祭・10月1日、神嘗祭当日祭・10月17日、世界平和祈願祭・10月24日、明治祭・11月3日、七五三祝祭・11月15日、新嘗祭・11月23日、御衣祭・11月立冬、天長祭・12月23日、大祓(師走大祓・ 茅の輪神事)・除夜祭・古札焼納祭・12月31日、月次祭・毎月1・15日
 箱根神社元宮:駒が岳山頂
 摂社:駒形神社、高根神社
 末社:九頭竜神社、日吉神社、第六天神社、来宮神社、曾我神社、箱根七福神社
 由緒:古来、関東総鎮守箱根大権現、三所大権現と尊称され、旧社格は国幣小社です。
 人皇第5代孝昭天皇の御代(2400年余前)、聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 奈良朝の初期(756)、萬巻上人は、ご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え、仏教、とりわけ修験道と習合しました。
 平安朝初期、箱根路が開通すると、往来の旅人はこの社に道中安全を祈りました。
 鎌倉期、源頼朝が深く信仰し、ニ所詣(この社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や徳川家康等、武家による崇敬の篤い社として栄えましたが、近世、箱根道が整備され、箱根宿や関所が設けられ、東西交通の要としてこの社への崇敬は益々盛んとなり、庶民信仰の聖地へと変貌しました。
 明治初年には、神仏分離により関東総鎮守箱根権現は、箱根神社と改称されました。

「駒ヶ岳山頂箱根元宮」案内 拡大写真はこちらで

神社遠景
芦ノ湖に浮かぶ平和の鳥居は有名ですよね〜。私はこの鳥居が一の鳥居なのかと思っていましたが、実は「平和の鳥居」といって今上陛下の立太子礼と講和条約締結を記念して昭和27年に建立され、昭和39年に御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念して、「平和」の扁額が掲げられ、「平和の鳥居」といわれるようになったものだったのですね〜。
国道1号線・成川美術館傍に建つ
一の大鳥居
皇太子殿下の御成婚を奉祝して、
平成5年12月に建替えられました。
国道1号線・元箱根信号傍に建つ
二の大鳥居
表参道入口
社号標
「國幣小社 箱根神社」
表参道入口に建つ三の鳥居
最初の石段を登ると後は平坦な参道です。
芦ノ湖に浮かぶ平和の鳥居
箱根神社の六基の鳥居の中で
唯一の両部鳥居です。
湖水に建つ平和の鳥居から
続く正参道の石段
矢立の杉

県の「名木100選」に選ばれて
いる古木で、延暦20年(801)
坂上田村麻呂が東北鎮撫に
向かう際、箱根権現に参詣し
「表矢」を献じて武運長久を
祈願し、所願成就し平定した
という謂われが残されています。

正参道と表参道の合流地点に建つ四の鳥居
ここから老杉に囲まれて正参道90段の石段登りが始まります。中程左側には「日本三大仇討ち」として名高い、曽我五朗十郎を御祭神とした曽我神社が鎮座しています。
老杉に囲まれた正参道90段の石段
今日も沢山の人々が参拝に訪れていました。
曽我神社入口
御祭神:曽我十郎祐成之命、曽我五朗時到之命
例祭日:5月28日(傘焼神事)
由緒:鎌倉時代、同族間の所領争いが因で、実父河津三郎祐泰が工藤祐経に討たれた曽我十郎・五朗の兄弟が、17年後に仇討の本懐を遂げました。その間箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十朗祐成の霊を慰めるため「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりです。
江戸時代の正保4年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が石造の本殿を造営し、平成に社殿が改修されました。
「曽我神社由来」拡大写真はこちらで
曽我神社の狛犬
明治40年(1907)生まれの江戸流れ狛犬です。阿吽の位置が反対で、吽は玉を手にしています。やせ気味で、狼のように精悍な顔つきをしており、横に広がった大きな耳が特徴です。苔むしたところが余計に年代と重みを感じさせます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治40年(1907)10月吉日建立)
曽我神社社殿 社殿内に架かる曽我兄弟の絵馬
五の鳥居が見え、正参道の
石段登りもそろそろ先が見えてきました。
神門と回廊
建立年代不明の籠神社系狛犬
吽には角が付き、脇毛の生えた堂々とした狛犬が、背中に苔を生やして貫禄充分です!
狛犬の拡大写真はこちらで
神門

境内へ