生岡神社

日光市七里 (平成21年9月9日)

東経139度38分42.95秒、北緯36度43分55.97秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道119号線を日光方面に向かい、野口信号を過ぎて間も無く左折、野口小の脇を通って日枝神社東参道を右に見て、さらに進んだ所にあります。大 正13年のお尻を上げた狛犬が居りました。本殿は、比較的新しいと思われます。御神木の杉は目通り7メートル、迫力がありました。神社に伝わる「子供強飯 式」は、市の無形民俗文化財です。

日光市指定文化財
無形民族文化財 生岡神社強飯式
毎年十一月二十五日の生岡神社の祭礼に行われる神事であり「強飯式」「御飯食に案内もん」「春駒」の三神事よりなっている。
強飯式は子供がふんする山伏と強力により白装束にメカイカゴをかぶった太郎坊、次郎坊と呼ばれる強飯頂戴人が高足膳にのった高盛飯を強いられる行事である。・・・中略・・・
次に、別当が三方に盛ったいもを「御飯食に案内もん」と唱えて太郎坊、次郎坊の口辺りに回しいてから食する、いも食い神事を行う。
最後に、別当が春駒(木彫りの馬頭で、馬身は青竹)を引き出し、別当がこれにまたがり、脇別当は幣束を持って馬丁の心境で春駒の手綱を取り神殿の正面に向かい礼拝の後、拝殿の床を大回りに右に三回廻り廻って神前に拝礼の後退出する。続いて、太郎坊がまたがり、次郎坊が手綱を取って神幣を捧げて同様に乗り廻し、次に次郎坊が乗って式を終る行事である。
境内説明書きより。全文はこちら。

写真付きで生岡神社強飯式を紹介しているサイトはこちら。

強飯式と言えば、「日光責め」とも言われる輪王寺強飯式が有名ですが、ここ生岡神社でも古くから行われているようです。嘗てはもっと広く行われていた行事かも知れません。

輪王寺強飯式
奈良時代から伝わる伝統行事です。山盛りの飯を食べるよう責めたてることから、「日光責め」とも呼ばれ、強飯頂戴人や参列者は、無病息災・家運長久などの運を授かるといわれています。日光市公式サイトより。

明治初年の神仏分離令によって、寺院と神社が分離されて以後、輪王寺三仏堂で四月二日に行われているが、明治以前は日光市山内の瀧尾神社で一月十二・三日に行われる正月の儀式であったようです。正月は春の初め。(太陰暦)今でも年賀状に迎春等と書き、春は待ち遠しいものだったと思われます。太陽暦になったおかげで、正月は冬となり正月の持つめでたさの一つが失われたようです。民俗学者の吉野裕子氏によれば「強飯式」は、正月新春を無事に迎えるための迎春呪術であるようです。

陰陽五行説に依れば春は木気。五行相剋で金は木に勝つ。米は六白金気。春の木を剋する金気調伏の為、金椀に高盛した白飯を食らうという。「コリャ、中宮祠の木辛皮、寂光の青山椒、お花畑の唐辛子、生岡神社の生大根」「諸所の名物よせてのご馳走、七十五杯ヅカヅカおっとりあげてのめそう」と責め立てるように、副食は辛いものばかり。五味のなかで金気は「辛」。主食副食ともに金気で、それを残さず平らげよ、といってさかんに強いるのは、金気剋伏呪術以外の何ものでもない。この神事の主神は、日光三社大権現、あるいは東照宮大権現、大黒天とされている。しかしこの行法が陰陽五行の「相剋の理」の純粋な応用として受取られる以上、この「主神」とは、実は四季の循環をその手中にする「宇宙の理法」ともいうべきものであろう。日光強飯式は神事に名を借りた、金気剋殺・木気迎引、季節の循環促進呪術、とみなされるからである。
「陰陽五行と日本の民族」吉野裕子著、より。

「御飯食に案内もん」は良く分からないが、「春駒」神事に吉野裕子氏的、陰陽五行説的解釈をしてみると・・・
馬身は青竹とあるが、青は青春と言う位で春の色は青。だから春駒。又馬は午で、夏、火気。金属は火に溶けるように、金気を剋するのは火。金気剋殺・木気迎引と言って良いでしょう。

陰陽五行説は古代中国で完成された膨大な思想体系で、簡単には説明しきれません。「陰陽五行」で検索すれば多数ヒットする筈です。それらを参考にして下さい。

神社入り口

構えといえば出雲ですが、これは何と呼ぶべきか、しかしとても腕の良い石工さんとお見受けします。拡大写真はこちら。

(大正13年(1924)建立)

拝殿

僅かに伺える覆屋内の本殿

栃木県指定天然記念物、生岡のスギ、周囲約7m、樹齢約500年

境内隅の石仏