浅間神社

「境内由緒書」
 当神社は、天喜2年(1054)藤原秀郷侯七世の孫、藤原姓足利氏の祖、従五位の下足利大夫成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられております。古来、足利富士として信仰され、上の宮、下の宮、の二社から成り、上を男浅間、下を女浅間と称し崇拝されております。
 御祭神、木花咲耶賣命 
 祭礼は毎年六月一日、昔から足利富士浅間山の山開きに、この一年に生まれた赤児の初めてのお詣りをし、初山詣で神前にて御朱印を額に押していただき、無病、息災、無事成長を祈願する祭礼初山ペタンコ祭りです。江戸時代中期より行われてきました。
 その頃、足利地方では富士山信仰が盛んで多数の信徒、行者、先達がおり富士講が広く行われていました。境内の石碑に名前が残されております。当時疫病、悪病が流行したため、神社の御朱印を子供達の額に押し神の御神威により病魔を退散 災難から、幼い子供達の命を守護するためこの祭りが行われたと伝えられています。
 初山ペタンコ祭は足利市重要文化財、民族文化財に指定されております。
足利富士上浅間神社

 由緒書にあるように、上下、男女で一つの浅間神社となるようです。嘗ては男の子は下の宮。女の子は下の宮と別々だったようですが、現在はそのようなことは無く男の子も低い、行き易い下の宮で御朱印を額に押してもらう子も多いようです。

 「藤原姓足利氏の祖、従五位の下足利大夫成行公」というのは、平安時代の末、百足退治で有名な藤原秀郷「俵(田原)藤太」(たわらとうた)の後裔で、下野国足利付近を本拠とすることから、成行の代から足利氏と称したようです。この時代、足利氏は藤原姓と源氏姓と二つあり、この神社を創建したのは藤原姓足利氏。因みにお隣の佐野市富士町に藤原秀郷を祀った、唐沢山神社が鎮座しております。