唐沢山神社

佐野市富士町1409 (平成16年6月13日)

東経139度36分14.61秒、北緯36度21分02.04秒に鎮座。

この神社は、東武鉄道佐野線・吉水駅の東北東2km程の辺り、唐沢山城本丸跡に鎮座しております。唐沢山は紅葉の多い手頃な高さの山で、秋には紅葉狩りを兼ねたハイキングに良い所です。祭神の俵藤太は逸話の多い面白い人でしたが、神社は閑静で落ち着いた風格溢れる感じがします。

御祭神 藤原秀郷公

藤原秀郷((ふじわらのひでさと)
生没年不詳。平安時代中期の人で、父は下野大掾村雄、母は下野掾鹿島の女といわれています。秀郷は、下野国の豪族として勢力を誇っていましたが、延喜16年(916)に同族17名と共に配流の処分を受け、さらに延長6年(929)には下野の国司から中央にその濫行(らんぎょう)を訴えられたりもしていました。
その後天慶3年(940)の平将門の乱に際して押領使(おうりょうし)に任ぜられ、平貞盛と協力して同年の2月に将門を下野国と下総国(現茨城県)で破り、乱を平定しました。この功積により、秀郷は同年3月従四位下に叙され、11月に下野守に任ぜられました。
秀郷の家系は中央には進出せず、下野国周辺に勢力を誇り、佐野・足利・小山・結城といった諸氏の祖となりました。
秀郷は別名「俵(田原)藤太」(たわらとうた)といわれていますが、これは田原の地(具体的な場所には諸説あり)に住していたことによるといわれています。
また秀郷については、近江国(現滋賀県)の三上山の百足(ムカデ)を退治したという伝承があり、現在、佐野の唐沢山神社にある避来矢(ひらいし)の鎧(国指定重要文化財)は、その際に龍王から贈られたものといわれています。(佐野ガイドより)

境内由緒書きはこちら。

神社入口

参道

神門

拝殿

拝殿内部

本殿