松田神社

足利市松田町2(平成19年1月26日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、松田葉鹿線を松田川に沿って遡り、松田地区の道路左側にあります。鳥居の神額は、全て読み取れなかったのですが、○○現大明神となっています。狛犬さんは居ませんでした。御神木の杉が天然記念物に指定されています。

 御祭神:大己貴神、大国主命
 由緒:現在神社の鎮座する地は通称「宮下」といいますが、これは松田の鎮守様・松田神社のお宮の下ということで付けられた地名だといいます。この社の創建は非常に古く、社伝では奈良時代の神亀・天平年間(724〜748)に祀られたといわれており、元は松田川対岸の「宮内」に鎮座していましたが、大永元年(1521)に現在地に遷宮されたと伝えられています。
 この社には現在まで「神迎祭(おかえり)」という古来からの伝統的な神事が伝えられています。
 「おかえり」とは、神さまが毎年、旧暦10月の丑の日に出雲大社にお立ちになり、11月の丑の日にお帰りになるのをお迎えする行事です。お帰りになるのはこの社の神さまだけでは無く、全国の神様がそれぞれのお社にお帰りになるのですが、松田神社に「おかえり」の伝説行事が残されているのは、ある理由があってのことです。
 伝説では、松田神社の神さまは、非常に醜い顔をしているので、人間に見られることを嫌い、もしも見た人は「3年以内に死んでしまう」のいい伝えがあります。そのために「おかえり」は必ず夜と定められています。神さまがお帰りになる日は、神主さんが馬に乗り大前坂までお迎えにいき、近隣の板倉神社や境宮神社などの神さまと一緒にお迎えをして、順番に各神社にお送りし、最後に松田神社にお送りするのですが、松田町ではその前に、先触が太鼓をたたいて「おかえり」を知らせます。すると人々はみな家に閉じこもりひっそりと静まりかえって、ひたすら神主さんが通り過ぎるのを待つのだそうです。また「おかえり」の次の日を「あらみさき」といって、昔は土地の人は畑仕事や山仕事を休んだといいます。物音がすると、出雲からお帰りになったばかりの神さまがゆっくりお休みになれないからだそうです。もし、この日に仕事をすると、手を切ったり、足を痛めたりといったぐあいにケガをするともいわれていました。だから農家の人も、山仕事の人も、一切仕事を休み、のんびりくつろぐ習慣で、かつては、「あらみさき」が一週間も続けられた時代もあったといいます。現在では「おかえり」神事だけが残され、「あらみさき」の風習は残っていません。(曹洞宗 端藏山宗泉寺掲示板参照)

社号標「村社 松田神社」
神社入口 鳥居の額「正一位 慈現大明神」
拝殿 拝殿の社額「大明神」
弊拝殿と透かし塀 本殿右斜め横から
本殿 境内社
境内社 境内社三社