高松神社

御前崎市門屋2068 (平成23年4月8日)

東経138度5分44.4秒、北緯34度39分1.23秒に鎮座。

この神社は、御前崎市の西外れ、掛川市に近い門屋の丘陵地帯の西外れ、「高松緑の森公園」の隣に鎮座しております。磐田にお住まいの方より桜情報を頂き、お花見を兼ね、今回の参拝となりました。流石、地元の方のお薦め、境内周辺、及び公園の桜は素晴らしく、様々な桜を心ゆくまで堪能してきました。

御祭神 伊弉冊尊・速玉男命・事解男命

由緒
当、高松神社は、第四十二代文武天皇の御祈願により、大宝元年(701)九月、紀州熊野三社をこの地方に移し祭ることにした。その由来は、藤原鎌足公の孫宮子姫が、文武天皇の御后になられたが、皇子無きため、深く紀州熊野三社に御祈願をされ、その御神徳により望みがかない、皇子を御安産され、此の皇子を後の聖武天皇と申し上げる。
そして、御祈願成就の上は、急ぎ東国に三所の社を建て移し祭るべきであると言う天皇のおことばにより。公家の奥野左衛門惟吉卿を遣わし、宮地を見聞せしめられ、此の景勝の地を新宮の宮地と定め、移し祭られた社が、当高松神社である。
また、横須賀の地を本宮と定め、移し祭られた社が三熊野神社であり、那智の宮地として移し祭られた社が小笠神社である。
境内由緒書より。原文はこちら。

熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の 総本社である。
熊野の地名が最初に現れるのは日本書紀の神代記で、神産みの段の第五の一書に、伊弉冉尊が死んだとき熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)というところに葬られたという記述がある。国家が編纂した歴史書(正史)に熊野の名が登場するのは日本三代実録からである。
ウィキペディアより。

日本三代実録は、平安時代の日本で編纂された歴史書で、 成立は901年。由緒書の大宝元年(701)九月創建はやや無理があるような気がします。

静岡県御前崎市に立地する神社である。文武天皇の命により大宝年間(700年代)に創建されたとされている。祭神は伊弉冊尊、速玉男命、事解男命の3柱であり、熊野三山から勧請されたとされている。近代社格制度の下では県社とされており、鳥居の近くに建てられた石柱にも「縣社高松神社」と刻まれている。
文武天皇により同時に創建された掛川市の三熊野神社、小笠神社とともに「遠州の熊野三山」とも称され、創建以来、熊野信仰を背景に周辺地域からの信仰を集めた。
例祭は毎年10月の第二土曜日に行われる。その際は、氏子らによる奉納相撲が行われる。また、2001年には「高松神社千三百年祭」が行われたが、これは創建から1300年が経過した記念に催されたものである。
高松神社の境内には「高松緑の森公園」が隣接している。また、神社周辺は御前崎遠州灘県立自然公園に指定されるなど緑が多く残る地域であり、御前崎市役所では都市計画にて神社一帯の自然環境保護を推進する方針を発表している。
ウィキペディアより。

因みに遠州の熊野三山を纏めると

住所 御祭神
本宮 三熊野神社 掛川市西大渕 伊邪那美命 速玉男命 事解男命
新宮 高松神社 御前崎市門屋 伊弉冊尊 速玉男命 事解男命
那智 小笠神社 掛川市入山瀬 事解男尊 伊弉册尊 速玉男尊

372号線より見る一の鳥居と社号標。参道右手は高松緑の森公園。

参道入口の鈴昭和

参道。213段、150m程あります。

参道上部から見る御前崎市と遠州灘。

参道途中の二の鳥居

拝殿

本殿

木鼻の獅子と獏。彫刻の拡大写真はこちら解説はこちら。


若宮神社・八幡神社・津島神社・天満宮・春日神社・松尾神社・丸山神社・於玖波神社・秋葉神社・金比羅宮


高松緑の森公園に咲く桜


海岸近くに立つ中部電力の風車。全部で十一基あり年間約6,200万kWh発電しているそうです。