可睡斎

袋井市久能2915-1 (平成21年6月30日)

東経137度55分21.79秒、北緯34度46分13.03秒に鎮座。

この神社は、JR袋井駅の北3km程の辺り、可睡ゆりの園の北西隣に鎮座しております。我々が車を停めた、有料駐車場にもそこそこの車が留まっていましたが、境内に人は居ず、大半はゆり園に向かったかと思われます。そう言えば駐車場の管理人さんにもゆり園を勧められました。

可睡斎は応永八年如仲天間禅師開山の曹洞宗寺院です。何でこのサイトに登場するか?。隣の磐田市、鎌田神明宮・宮司袴田さんより、変わった狛犬がここ可睡斎に居ると言う情報を戴いて、今回の参拝となりました。

可睡斎の由来
可睡斎は、六百年前(応永八年)如仲天間(じょちゅうてんぎん)禅師によって開創された曹洞宗屈指の名刹です。
十一代住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)大和尚は、幼い家康を戦乱から救ったことがあり、後に家康が、浜松城主となった折、報恩の為に城に招かれた、その席でコックリコックリ居眠りを始めました。その姿を見た家康は、和尚の安らかな親愛の心を悟り、和尚に「睡(ねむ)る可(べ)し」(御前にて睡っても無礼ではないとの意)と言い「可睡和尚」と愛称せられ、寺号も東陽軒から可睡斎と改め、後に拾万石の待遇と徳川幕府最初の僧録司(そうろくす)という職を与えられました。

火防守護の総本山
秋葉総本殿可睡斎にお祀りしてあります秋葉三尺坊大権現様は、今から千三百年の昔、越後蔵王権現堂の十二坊の一つである三尺坊という僧坊で厳しい修行を重ね、秘密奥義を極めて神通力を得、観世音菩薩三十三化身の一つであります迦樓羅身を現じられました。かくして、秋葉三尺坊様は、衆生済度のため、失火延焼の難を逃すことを第一に、三大誓願をおこし火防の霊場を開かれました。
秋葉三尺坊大権現様の御真躰は、明治六年に秋葉山秋葉寺より遷座奉安され、以来秋葉三尺坊大権現鎮座火防霊場として、全国より信仰を集める祈祷の道場として、日々火防と人々の幸福を祈願しています。

現在の秋葉神社はこちら。

境内入り口

火防総本山 秋葉総本殿 可睡斎

境内

正面石段

山門

本堂

本堂左手奥に秋葉三尺坊大権現様はいらっしゃいます。その石段下に、目的の変わった狛犬はちょっこんと座っています。

正面からは見え辛いが阿は右手を上げています。小狛に置く手をやや上げているのは時々見ますが奥側を上げているのは初めてかも。拡大写真はこちら。

(明治8年(1875)8月吉日建立)

石段途中の天狗

秋葉三尺坊大権現様を祀る御真殿

秋葉総本殿可睡斎
当山は日本第一火防霊場にして明治六年廃佛毀釈に伴い「三尺坊大権現さま」のご本躰が秋葉山秋葉寺から本寺可睡斎へご遷座された事から起こったものであります。以来「秋葉総本殿三尺坊大権現鎮座道場」として全国に奉祭する秋葉さまの総本山として名を知らるるに至ったのです。三尺坊大権現さまは、1300年前、信州戸隠村岸本家に生れ新潟蔵王権現堂の第一道場たる三尺坊、また戸隠山西窟道場においてご修行され観音大士のご化身として信仰を頂いております。
大願に曰く一心以って我を信ずれば諸々心願必ず成就す。火防・交通安全・厄除、當病平癒進学成就等諸願成就の御祈祷道場です。
写真左手、由緒書より。

御真殿内部

白山堂
永平寺開祖道元禅師が宋の天童如浄禅師につて開悟され帰朝される前夜、碧巌録を筆写していると、白山妙理大権現が現れ助勢された(一夜碧巌)禅師はその奇瑞を歓び帰朝後終生白山妙理大権現を祀られた。

白山神社の明治前の姿は、皆こうだったのでしょうか。