支布佐(きふさ)神社

安来市吉佐町365(平成21年7月30日)

東経133度18分58.3秒、北緯35度24分14.63秒に鎮座。

この神社は鳥取県との県境に位置する安来市吉佐町の小丘東麓に鎮座しています。周囲は全て緑濃い森の中、余り目立たない石段の参道が造られ、途中に鳥居が建立されています。境内はやや開け明るい感じになっていますが、ひっそりとした静寂の中にあり、神寂びた…という形容がピッタリの佇まいを見せています。
物音一つしない静寂の中、この日見てきた米子市の神社とはうって変わった社殿の造りにも、独特の佇まいにも影響されたのか、遥か昔の出雲神話の時代にタイムスリップしたかのような不思議な感覚に囚われ、二人で顔を見合わせ、暫し佇んでいたことを思い出します。

御祭神:天穂日命
祭礼日:不明
境内社:琴平神社、稲荷神社、国津神社、客神社他
由緒:この社の創建時期は不明ですが、『出雲国風土記』記載の「天穂日命神社」比定社となっています。「天穂日命神社」比定社には他に、天穂日命を祖とする出雲国造の代替わりに参拝・奉幣があったといわれる「能義神社」がありますが、正徳年間(1711〜1716)と明治初期の2回にわたり論社争いがあり、この社・吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)に軍配が上がっているようです。境内の国津神社は天穂日命の随神である天津子命を祀っています。

アメノホヒは、日本神話に登場する男神。天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神などと書かれる。
アマテラスとスサノオが誓約をしたときに、アマテラスの右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実の持ち主であるアマテラスの第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。
任務を遂行しなかったというのは古事記や日本書紀による記述だが、出雲国造の神賀詞(かんよごと)では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子をアマテラスにきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、出雲国造神賀詞はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。
名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。
農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、能義神社(島根県安来市。出雲四大神である野城大神と呼ばれる)などの旧出雲国内だけでなく、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)、天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)、桐生天満宮(群馬県桐生市)、芦屋神社(兵庫県芦屋市)など全国で祀られている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

神社入口
石段参道の途中に鳥居が建立されています。
境内入口
拝殿 拝殿に架かる額
「支布佐神社
八幡宮 武内神社」
本殿
社殿全景
境内社:琴平神社 境内社
境内社 境内社:稲荷神社
境内社:国津神社(左・天津日子命)他二社 社日
宝物庫?什器庫?