能義神社

安来市能義町(平成17年11月27日)

 この神社は安来市街地から45号線で南西に向かい、飯梨川に架かる能義大橋東の信号で左折、またすぐ右折し250m程進むと左手に鎮座しています。
 出雲国風土記では野城(ぬき)社、延喜式神明帳には野城神社と記載されている旧県社です。出雲では四大大神、つまり出雲大神、熊野大神、佐太大神とならんで能義大神と呼ばれ、尊崇されてきました。

 由緒によると、御祭神は國土奉還の使者として高天原より大國主大神のもとに来て、大きなご功績を挙げられた天照大神の第二子、出雲國造家の御祖神・天穂日命で、合祀式内社・ 同社坐大穴持神社の大己貴命、 同社坐大穴持御子神社の事代主命を総称する形で能義大神と呼ばれていたようです。例祭10月19日には、出雲國造83代の御孫千家宮が参拝、御祖神の御神威を奉戴されています。朝廷の尊崇も殊に篤く、数度にわたって神階を授けられた記録が残っています。また武家の崇敬も篤く、戦国時代には尼子・毛利の、また江戸時代には堀尾山城守、松平直政等の社領寄進があったと記されています。又、社殿も古雅広壮であったと伝えられていますが、永録6年(1569)天災で焼失、慶長18年(1613)堀尾氏の造営以来11回の遷宮を経て今日に及ぶ大社造りの古社です。とあります。
 有力な地主神として信仰されてきたこの神社は、明治まで能義郡の総社として機能し、今でも出雲国造家の襲名時には参拝奉告祭が行われるといいます。現在の主祭神は天穂日命、大已貴命、事代主命で、合祀神は誉田別命、息長足姫命、玉依姫命、順徳天皇、経津主命、国常立命、神皇魂命、惶根命、国狭土命、伊弉冉命となっています。

 飯梨川の右岸の田園地帯にあり、小高い丘の鬱蒼とした森の中苔むした石段を登ると、中央に二つ盛り土がしてあり、静かな境内の奥に大社造りの本殿が建っています。

神社入り口 階段の参道
文化4年生まれの出雲構え獅子、尻尾の裏などに剥落が始まっています。
(松江石工・久之助作  文化4年(1807)5月吉日建立)
随神門 灯籠と紅くなりきれない紅葉
随神門内の木造狛犬。
吽を見ると顎が張った可愛い狛犬なのですが、
寄せ木造りのためか、阿は顔がスパッと無くなっています。
拝殿 大社造りの本殿
境内社・野美神社(能美宿禰命) 境内社・
若宮神社(若宮之介霊)、塩津神社(塩見命)
境内社・
愛宕神社(軻具突知命)、鷺神社(稲背脛命)
ご神木