八重山神社

雲南市掛合町入間50(平成24年9月1日)

東経132度48分17.34秒、北緯35度08分32.91秒に鎮座。

 この神社は掛合町掛合で国道54号線から八重滝に向かい500mで八重滝入口。そこから更に八重山川沿いに約1500m程進むと八重山神社の下に着きます。参道入口はあまり目立たない細い石段。その後は大岩を迂回するように造られた階段状の参道となり、東宮殿下御成婚記念に造られた八重山神社大前石階五十段を上がると、駐車場からの坂道参道と行き交います。なおも石段を上がって進むと、平坦な参道奥に鳥居が建立されており、自然石の手水鉢が格好良く置かれています。その後も、自然林と竹林の間の参道を進んでいくと、又も石段参道。上がりきったところに異形の狛犬と随神門が建立されています。ここに案内にも記されている坪内平七郎利忠作「西日本では珍しい随身像と異形狛犬」がいるのです。この坪内平七郎利忠作の変わった狛犬は、今のところ他には一体しか確認できていません(もし他にも似たような狛犬をご存じの方、是非お知らせください)。
 その後も大杉を見上げつつ続く石段の参道を上がっていくと、参道は左側に向きを変え、最後の80段の石段の上、オーバーハングの岩峰の下に神殿、社務所、末社が建立されています。神殿右斜め上方の岩場には伝説で名高い「金鶏の岩屋」も口を開けているのが見え、人間業ではとてもここまで登ることは至難。周囲の神聖な雰囲気と岩峰の威圧感に、この地が信仰の対象となった必然性をひしひしと感じました。
 狛犬ファンは必見の神社ですが、ヒーリングを求める方にも最適の地と思われます。

御祭神:伊邪那美命、天照皇大神、建速須佐之男命、速玉之男命、母事解之男神、神大市比売命、大山祇神
祭礼日:例大祭・4月13日、豊饒祭・9月13日、月並祭・毎月13日
由緒:社伝によると、神代、須佐之男命が簸の川にて八股蛇を退治されて後、「鷲尾猛」なる邪神が八重山の巌窟に住み、「金鶏」にまたがり飛翔跳粱し住民を苦しめている猛を確認し、八重山に上り降伏せられ、その巌窟に伊邪那美命・天照皇大神を祀られ須佐(出雲市佐田町)に行幸される。
 永禄12年(1569年)に毛利元就が雲州に攻め入ったとき、多賀山通定が赤名の瀬戸山城において八重山神社をはじめ出雲の神社や寺院の由来について進講した事から、江戸時代に入り、松江藩主「松平直政公」は領内の神社の修復に力をいれられ当社もその恩恵を受けたようである。
 往時、八重山神社が焼け、直政公の枕辺に立った神が社の修復を訴えられ、委詳を村史田部国寿氏にご下門、田部氏により焼失の明細を申し上げられ、延宝7年(1677年)年、三代藩主松平綱近公の御代再建になり「一社一例国主守護之社」として松江藩・広瀬藩の祈願社として崇拝されてきました。 現社殿は享保19年(1734年)に造営になっている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

八重山川沿いの道路に面した参道入口
大岩を迂回するように造られた階段状の参道
八重山神社大前石階五十段
石階上部
五十段の石階を上り詰めると、駐車場からの坂道参道と行き交いますが、なおも石段を上がって進んでいきます。
平坦な参道奥に森と鳥居が見えてきます。
明神鳥居
石段の参道と自然石の手水鉢
自然林と竹林の間の参道を進んでいくと…
又も石段参道
随神門前にいる異形の狛犬
この狛犬は狛犬マニアには結構有名な存在です。石見銀山の有名な五百羅漢の像を彫った坪内平七郎利忠の17歳の時の作で、石材は石見銀山近くの福光石です。天才は若くても天才なのですね、間近にみると、ものすごい迫力です。まっすぐに伸びた背から前方に突き出した頭部、下顎が発達した顔、短めの鬣。体毛は渦を巻いたり流れたり体表のかなりの部分に線彫りで表現されています。龍のような顔つきに狛犬の体、尾は中央辺りから九尾の狐のように左右に分かれています。何処を見ても大胆でユニーク…の一言に尽きますが、この狛犬を更に進化させ鬣などが装飾化されたと思われるのが由来八幡宮随神門内の狛犬です。もしかしたら兄弟かも…?。尚、山陰最古の狛犬で雲南市指定文化財となっております。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・坪内平七郎利忠 正徳3年(1713)建立)
随神門
未だ未だ大杉を見上げつつ続く、石段の参道
最後は山肌に沿って境内へと続く、駄目押しともいえる急登の石段です。
眼前に岩肌が迫る境内の入口
オーバーハングの岩峰の下に神殿が建立されている境内全景
境内右手に配されている社務所?
拝所と神殿
神殿前にいる出雲構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
神殿前に置かれている馬の像 絵馬
境内左から見る神殿と右斜め上方には伝説で名高い「金鶏の岩屋」

【八重山神社のスサノオ伝説】
その昔、この岩窟に住み、悪行を働く怪神がいました。
名は− 鷲尾猛 −(わしおたける)− 金の鶏 −(きんのとり)にまたがって自在に宙を飛び里の住人たちを苦しめていました。
夜な夜な八重山の岩窟にある洞穴から這い出しては、人々の夢の中に現れ、
サタンやデモンが迫りくる物語をしかけ、善良なる農民たちを不眠にさせました。
農耕を遅らせ、また、作物を実らなくさせるのが目的だったのです。
折からの水不足による飢饉も手伝って労働の意欲をそがれたタミはいよいよ働かなくなりムラの財政は傾きました。
入間というひとつの村の崩壊の危機はすぐそこに迫っていたのです。
そこに登場したのがスサノオノミコトです。
正確には健速須之男命(たけはやすさのおのみこと)オロチ退治ののち、 最愛のイナタヒメと
住まうための場所を探し求めてさまよっていたミコトの逆鱗に触れ、ワシオの神は徹底的に鎮められたのでした。
以来、集落に平和が訪れ、八重山には母神のイザナミノミコト、姉神のアマテラスオオミカミなど諸神がまつられました。
(サイト「うんなん旅ネット」より)
この社は「たたら製鉄」に牛馬が数多く使役された時代から、牛馬の神様ともされていたようです。
参道脇に聳え立つご神木・大杉