由来(ゆぎ)八幡宮

飯石郡飯南町頓原 (平成22年11月1日)

東経132度47分3.6秒、北緯35度4分25秒に鎮座。

【神社情報・イッシーさんより】
この神社は、島根県中央山間部、飯南町頓原に鎮座しております。現在は静かな山村といった雰囲気かと思われますが、嘗ては近くを、石見銀山から尾道まで通じる、銀山街道が通っており、人々の往来も活発だったのかも知れません。

平成22年10月19日、島根県飯石郡飯南町(しまねけん いいしぐん いいなんちょう)にお住まいのイッシーさんよりメールを戴きました。
「わたくしの氏神様を祀る神社にはとても変な(?)形の狛犬があります。ネットなどで少し調べてみましたが、似たようなものがないように思われ、由来など気になっています。
その狛犬の写真を添付してお送りしますので、よろしければ、「ご所感」や「類似のものがここにある」などご教示いただけませんでしょうか?」

我々も、さんざん日本中の狛犬を見て回ってきましたが、似たような狛犬は見たことが無い!。と言う変わった狛犬です。イッシーさんのお許しを得て、この場にて公開させて戴きます。イッシーさん、有り難う御座います。

由來八幡宮は飯南町頓原に所在し、主祭神として誉田別皇命(ほんだわけのみこと)、足中彦皇命(あしなかひこのみこと)、気長足姫皇命(おきながたらしひめのみこと)を祀っています。
源頼朝は鎌倉幕府開府後、鎌倉鶴岡大蔵山のホウの木を使って彫刻した神像をご神体とし、出雲国に八社の八幡宮を祀ったとされ、由來八幡宮はその第四社といわれています。
社伝は、源頼朝の命を受けた田槙安房守が1196年(建久7)に社地を選定し、同じく1207年(建永2)、出雲国守護職佐々木義清によって神殿落成が行われたと伝えています。

また『由來八幡宮明細帳』には
「当社は石清水八幡宮の別宮なり。佐古に鎮座ありしを文永二年地頭三善久清、代官神田三郎右衛門をして神殿を現在地に移転し、神主十郎右衛門久清遷座奉仕」とあり、1265年に佐古(現在の迫地区)から現在の社地へ移転したと記録しています。現在、佐古(迫)には旧社地として大田八幡宮が祀られ、例祭には由來八幡宮からの御神幸が行われています。

近世に至り1666(寛文6)年、松江藩から広瀬藩が分封されてからは広瀬藩の祈願所となり年間の祭費及び営繕費の支弁を受け、例祭には藩主の代参以下藩吏郡役人等の参列を例としていました。
飯南町の歴史と文化より。

参道入口に立つ鳥居と社号標

隋神門と大杉

拝殿

隋神門の御隋神

隋神門の狛犬。拡大写真はこちら。