賣布(めふ)神社

松江市和多見町(平成17年11月26日)

 この神社はJR松江駅の北西、宍道湖と中海を繋げる大橋川に架かった松江新大橋の南すぐに鎮座しています。

 案内によると、出雲国風土記に「賣布社(めふのやしろ)」、延喜式には「賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社で、社記によれば、櫛八玉神が速秋津比賣神を祀ったのが創始となっており、社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生えることを意味し、元の鎮座地は意宇郡の海辺であり、宍道湖が形成される頃袖師ヶ浦へ、そして潟地が広がって今の白潟ができたころの天正年間(十六世紀後半)に、海水の流入口となった現在地へ遷座されたと伝えられています。「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、長期に渡り松江の産土神として崇敬されてきました。

 また、宮司さんのお話によると、中世には広大な神田や、漁業権を保有していた模様で、祭儀には摂社の漁労の神・調理の神である櫛八玉神と関連した、古代神話の国譲りに因む神事が継承されてきました。主祭神は速秋津比賣神(通称橋姫と呼ばれ水門神、祓門神)、相殿神は五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命(樹種神)、摂社神は櫛八玉神(出雲大社の膳神で、漁労神)です。

 私達が参拝した折りには、早朝にもかかわらず境内はもう綺麗に清められており、宮司さんは草むしりをしていらっしゃいました。そして境内、社殿、狛犬等の写真を撮っていると、ご親切にも門を開けて狛犬を正面から撮しやすい様にしてくださったり、社殿内に導き入れ、写真の許可をくださったり説明をしてくださったりと、こちらが恐縮する程の丁寧な応対をしてくださいました。その節は本当にありがとうございました。旅に出ると、この様な対応には特に敏感になり、人情のありがたさが身に染みます。

 この神社の御祭神の御亭主とでも言うべき神様、速秋津比古神を祀る由貴神社が中海への出口とも言うべき馬潟町に鎮座しております。埼玉県の氷川神社と氷川女体神社のように昔は船で行き来していたのでしょうか。

社号標
神社入り口
涼やかで趣のある手水舎 境内の様子
境内入り口の神殿狛犬系石造狛犬。
宮司さんは「構え獅子よりもこちらの方が品があって、神社に相応しいのでは…。」と仰っていました。
ここ出雲の地では、殆どが出雲構え獅子と出雲丹後狛犬のどちらかですから、新鮮に映りました。
落ち着いた構えの拝殿 拝殿に架かっている額
挙鼻と木鼻の龍の家族。どことなくユーモラスな感じがします。
拝殿内の様子 常盤御前と頼朝、義経の親子でしょうか。
拝殿内の額。
拝殿内頭上の、松平不昧公お抱えの名工にして
、西の左甚五郎とも称される如泥作の龍の透刻。(文化9年(1812)製作)
本殿前方と後方から
本殿後方の境内社・金刀比羅神社
( 大名牟遅命・少彦名命)
本殿後方の境内社・船霊神社
(表筒男命・中筒男命・底筒男命)
境内社・常光神社入り口 境内社・常光神社社殿
境内社・常光神社の備前焼狛犬
(昭和10年(1935)12月建立)
境内社・和田津見社(櫛八玉神・豊玉彦神・豊玉姫神)
境内社・和田津見社の出雲丹後狛犬。目がとても大きく幼い感じがします。
境内裏の開かずの入り口陰に、ひっそりと置かれていた来待石の狛犬。
形から見て正面入り口の真新しい狛犬の先代さんでしょう。
もっと陰に隠れている先代狛犬。
こちらは出雲構え獅子と出雲丹後狛犬が一体ずつです。
白潟地主総荒神(速秋津比古神・素盞嗚尊)
白潟地主総荒神の壊れかけた出雲構え獅子
境内社・恵美須社入り口 境内社・恵美須社社殿
(大國主命・事代主命)
境内社・恵美須社を守る出雲丹後狛犬。阿の鼻先が欠けています。
境内裏に密やかに咲いていた
サザンカと紅葉が
素敵な色の対比を見せています。
由緒と狛犬の拡大写真はこちらで