出雲市湖陵町大池1302-1 (令和6年6月21日)
東経132度39分52.98秒、北緯35度18分38.94秒に鎮座。
この神社は、JR山陰本線・江南駅の西2km程の辺り、湖陵町大池の街中に鎮座しております。
御祭神 天之御中主神
由緒
出雲国「若壱王子権現社」あったことで以前から願掛の信仰者多し。元郷社。古くから例大祭祭典中に御分霊の御神行「神幸神事、祷家祭」を行い古代神事華や江戸時代初期からの大華の奉納、獅子舞の約100mの行列の神輿で本殿に入御する。年1回神様が氏子家を見てもらえる神事と言われている。
島根県神社庁公式サイト より。
当社の大神さまは、神代の昔天地いまだ漂う時始めて宇宙を治められた神代最高の位の大神、天之御中主大神さまで天照大神さまの御祖父さまであります。何時頃からこの地に奉られたか定かでありませんが、文字が我が国に伝来し聖武天皇天平5年(733)出雲風土記、延喜式、出雲国巡拝記等の古文書等に記されており古社なること明らかです。又社名は、出雲風土記(美久我の社)延喜式(彌久賀神社)慶長時代(1596〜1614)から文政時代(1818〜1829)(若一王子権現御社)と言い嘉祥4年(851)に正六位に叙せられ、明治4年(1871)に郷社となり遠い昔の私達の先祖から今に至るまで多くの人々の心の支えとして敬仰される神社であります。
境内由緒書き より。
参道入口
参道
入口左右の出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(平成4年(1992)9月吉日建立)
二の鳥居
拝殿
神額
拝殿内部
本殿
恵比須神社
疫病神社
神御祖ノ社と末社
苗鹿神社
井戸明府碑。
「いも代官」として多くの人に慕われている井戸平左衛門正明を称える碑。
大田市大森町に井戸平左衛門を祀った井戸神社が鎮座しております。
井戸 正明(いど まさあきら、寛文12年(1672年) - 享保18年5月26日(1733年7月7日)は、江戸時代中期の幕臣、大森代官、笠岡代官。享保の大飢饉の際に石見銀山領を中心とする窮民救済のため数々の施策を講じた。なお、その名については「正明」とする文献が多いが、「正朋」とする文献もあり一致していない(なお、この点につき昭和47年版の島根県編『島根県誌』第8巻661頁では享保18年の遺言状などを根拠に「正朋」が正しいとしている)。石見地方などでは通称の「平左衛門」のほうが一般的であり、今日でも正明は「芋代官」あるいは「芋殿様」と呼ばれ慕われている。
ウィキペディア より