井戸神社

大田市大森町イ1372 (平成29年7月26日)

東経132度27分02.40秒、北緯35度07分00.56秒に鎮座。

この神社は、JR山陰本線・馬路駅の東5km程の辺り、大森町の街中に鎮座しております。

御祭神 井戸平左エ門正明

由緒
神社には、江戸幕府から派遣された19代の代官である井戸平左衛門が祀られています。
井戸平左衛門享保16年から同18年(1731〜1733)まで石見銀山領の代官を勤めました。
任期中の享保17年(1732)に「享保の大飢饉」が発生し、西日本の各地ではたくさんの餓死者が出ました。しかし、江戸幕府の資料「徳川実記」によれば「井戸平左衛門御代官所、夫食(食料)行き届き餓死者これなき由」とあり、石見銀山領では餓死する者がいなかったといいます。
これは、井戸代官が自らの財産や裕福な領民から募った資金により、米を買い集めるとともに、幕府の許可を待たずに代官所の米蔵を開いて、飢えた人々に米を与えたためと伝えられています。
また、大森町榮泉寺で旅の僧「泰永」と出会い、やせた土地でも栽培できる薩摩芋のことをしりました。当時は主な産地である薩摩藩からの持ち出しが禁止されていましたが、苦労の末に取り寄せて栽培に成功しました。
井戸平左衛門は享保18年(1733)5月26日に備中(岡山県)で亡くなりました。その後、飢饉を救った功績を称える石碑が各地に建てられましたが、旧石見銀山領を中心に約500ヶ所が確認されています。
境内由緒書き より。

神社全景

拝殿

本殿入口

本殿


神庫?