大蔵神社

比企郡嵐山町大蔵 (平成22年10月23日)

東経139度19分54.92秒、北緯36度1分28.7秒に鎮座。

【神社情報・源夢さんより】
この神社は、東武東上線・武蔵嵐山駅の南2km程の辺り、大蔵集落に鎮座しております。ここ嵐山町大蔵は平安時代末期に、帯刀先生源義賢がこの地に館を構えた所と伝えています。鎌倉初期には大蔵宿が形成されていたようです。付近には多くの史跡が存在し、この地が古来から重要な拠点であったと思われます。その館跡の一画に神社はあります。

大蔵館は源氏の棟梁六条判館源為義の次子、東宮帯刀先生源義賢の居館で、都幾川をのぞむ台地上にあった。現在する遺構から推定すると、館の規模は、東西170メートル・南北200メートル余りであったと思われる。
館のあった名残りか、館跡のある地名は、御所ヶ谷戸及び堀の内とよばれる。
現在遺構としては、土塁・空堀などがあり、ことに東面100メートル地点の竹林内(大澤知助氏宅)には土塁の残存がはっきり認められる。また、かっては高見櫓の跡もあった。なお館跡地内には、伝城山稲荷と大蔵神社がある。
源義賢は、当地を拠点として武威を高めたが、久寿二年(1155)八月十六日、源義朝の長子である甥の悪源太義平に討たれた。義賢の次子で、当時二歳の駒王丸は、畠山重能に助けられ、斎藤別当実盛により木曽の中原兼遠に預けられた。これが、後の旭将軍木曽義仲である。
埼玉県。原文はこちら。

悪源太義平を祀った東松山市の御霊神社はこちら。

神社入口

境内

参道

館跡を示す石碑