高野神社

多久市南多久町下多久2511(平成23年11月2日)

東経130度7分36.14秒、北緯33度16分16.78秒に鎮座。

 この神社は中多久駅の南東約1.5km、牛津川北に鎮座しています。
 社前を流れる牛津川には朱塗りの神橋が架かっており、その神橋を渡り神門までの50m程の参道に三基の鳥居が建立されています。中でも三の鳥居は、市の重要文化財に指定された、市内最古 元和9年(1623)建立の肥前鳥居です。その参道左右には楠大明神や土俵が設えられ、鎮西八郎為朝が矢の根を射込めたと伝えられる六地蔵、記念碑などが奉納されています。
 神門を潜ると境内には全面に箒の目が付けられ、その規則正しい筋目に気持ちも引き締まります。正面には大正10年生まれの狛犬が護る入母屋造りの拝殿、流造の本殿が建立され、社殿右には末社祠七社が纏められています。又、此処では俵型石像や御神馬像、牛像なども見られます。
 社前を流れる牛津川の佇まいも素晴らしく、静かで清められた神社共々、参拝をお奨めいたします。

 御祭神:罔象女(みずはのめ)神、暗雄霊神
 祭礼日:春祭・4月9日、例祭・10月19日、秋祭・11月29日
 境内社:相浦飯盛権現、津留権現、立山権現、金大明神、西山権現、瓦河内八龍、下鶴栗山権現
 由緒:創建は1191年、後鳥羽天皇建久2年。
 摂州(大阪難波)難波多久邑の住人多久太郎宗直 源頼朝公に従い 勲功により多久の荘を賜る 建久2年 下向の初め 平素信仰厚き紀州(和歌山県)丹生大明神を勧請し この地を相して殿宇を建立した 以来 星霜を経ること久しく 堂宇類焼せしを以て 1560年正親町天皇永禄3年 太宰少弐資元之を再興す
 正親町天皇天正2年 兵災に罹りしを以て 1580年天正8年正月 多久邑主龍造寺長信修築し 邑中の宗廟とした 1865年孝明天皇慶応元年正月2日 再び火災に罹りしを以て 1875年明治8年5月氏子達により再建した 明治10年3月29日郷社に昇格せり 1993年平成5年12月 氏子により改築し現在に至る

神社遠景
社頭
入口に立つ一の明神鳥居
参道途中に立つ二の肥前鳥居

市内最古 元和9年(1623)建立の、市重要文化財・三の肥前鳥居
楠大明神 土俵
記念碑と牛像 石碑
天神地神水神龍神火神 六地蔵
鎮西八郎為朝が矢の根を射込めたと伝えられる六地蔵
石段参道と神門
箒の目が綺麗に付けられた境内の様子
拝殿前、大正10年生まれの狛犬
やや上向きで優しそうな顔、滑らかで均整のとれたスタイルは見る者を惹きつけます。同じ石工さんの作品は中尾神社にもあります。
狛犬の拡大写真はこちらで
 
(石工・西野鶴松 大正10年(1921)7月15日建立)
俵型石像
御神馬像 御神馬像
御神馬像 牛像
拝殿
拝殿内の様子
天井絵
本殿
記念碑 記念碑
末社祠七社
御堂
神社右手の鎮守の杜
神社南を流れる牛津川
水が綺麗なのでしょう、白鷺が虎視眈々と魚を狙っています。