与賀神社

佐賀市与賀町2-50 (平成23年8月8日再訪)

東経130度17分49.93秒、北緯33度14分43.72秒に鎮座。

 この神社は市内でも最古級の縁起を持つ古社で、旧佐賀城お濠のすぐ西に鎮座しています。
 私達は知らなかったのですが、社頭に立つ肥前鳥居は三の鳥居だそうで、次に佐賀に行った時には一と二の鳥居を探してみようと思っています。
 入口には「縣社與賀神社」の社号標と国重要文化財・三の鳥居、同じく国重要文化財・神橋を渡ると、縦置きの文化4年生まれの狛犬が居り、その左には推定樹齢1100年のご神木・大楠が見事な姿で聳え立っています。
 境内の入口には、国重要文化財の楼門が建立され、境内正面には唐破風付き入母屋造りの拝殿、見事な彫刻付きの三間社流造の本殿が建立され、左右には佐賀恵比須神社、粟島神社、佐太神社、少弐神社、宝壽森稲荷神社、天満神社等と共に、石祠の末社が多数祀られています。
 又、推定樹齢1400年の県天然記念物指定ご神木・大楠を初めとする境内の大楠4本は、この社の歴史の古さを物語っているようで、その威容には目を奪われます。
 この社は佐賀市を代表する神社の内の一社だと思われますが、静かで厳か、「清々しい」という形容がピッタリの素晴らしい神社でした。

 御祭神:与止日女神(豊玉姫命)、八幡神・彦火々出見命、住吉神・綿津見命、乙宮神・宗像三女神、印鑰神・天児屋根命、八幡大神・応神天皇、学問の神・菅原道真公
 祭礼日:例祭(おくんち) ・10月19日、春祭(祈年祭) ・4月19日、秋祭(新嘗祭) ・12月6日、夏祭大祓 ・7月29日
 境内社:佐賀恵比須神社、粟島神社、佐太神社、少弐神社、宝壽森稲荷神社、天満神社
 由緒:欽明天皇25年(564)に勅願造立され、鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212)北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245)執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたと伝えられています。
  ついで、建長3年(1251)には与賀郷の地頭であった大宰少弐資能安穏のため洪鐘一口が寄進され、永正10年(1513)には神階一位に進められました。
  室町後期に、太宰府長官であった少弐政資公は 山口の大内氏との抗争の末、佐嘉の地に来て文明十四年(1482)に現在の赤松町龍泰寺一帯にあった父教頼の旧館を開き与賀城を築き、当神社を鬼門の鎮守として崇敬し社殿を再興、楼門を造立し神事を修飾。
 その後、少弐氏時代から高木氏、竜造寺氏、鍋島氏にかけては、与賀郷の宗廟として領主・藩主を始め一般士民の崇敬厚く、特に鍋島氏は佐賀城の鎮守、各代の産土神社として深く尊崇され、数々の寄進をなされています。
(「与賀神社公式サイト」より)

社頭 社号標「縣社與賀神社」
入口に立つ国重要文化財・三の鳥居
藩祖鍋島直茂公夫妻による建立で、石橋ともに国重要文化財です。朝鮮出兵後、直茂公の無事の帰還を祝い寄進されたもので、桃山時代の地方的特色のある優れものです。三の鳥居は石造明神鳥居で、その形式、殊に笠木鼻の形に特有の様式が認められ、「肥前鳥居」の初期のものとして有名です。柱に慶長8年(1603)の銘があります。
鳥居に掛かる額
「与賀荘正一位 
與止日女大明神」
国重要文化財・神橋
藩祖鍋島直茂公夫妻による建立で、鳥居ともに国重要文化財です。朝鮮出兵後、直茂公の無事の帰還を祝い寄進されたもので、桃山時代の地方的特色のある優れものです。石橋は石造反橋で橋脚6基18本、擬宝珠(10個)高蘭付で、擬宝珠に慶長11年(1606)の銘があります。
お濠
楼門前、縦置きの文化4年生まれの狛犬
阿は玉取で、首のくびれがなく、縦長蹲踞の蛙のような体型です。やや上向きの顔は整ってはいますが潰れ気味で、縦ロールの鬣や尾等に微妙に変化を持たせてあります。関節があり踏ん張っている前脚や、投げ出したような後ろ脚に、年代の古さが感じられます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化4年(1807)7月吉日建立)
国重要文化財・楼門
室町後期の建立、大正2年国宝に、改めて昭和25年国重要文化財に指定されました。 佐賀県内で最も古い木造建築物です。竜造寺家の「藤竜家譜」によれば、 1482年太宰少弐政資公が先考教頼公の旧館(現在の龍泰寺一帯)を修めて与賀城を築き与賀神社を鬼門の鎮守として祀ったとあり、同じ頃楼門を建立したと伝えられます。
楼門は総丹塗で正面三間、側面二間、屋根は入母屋造で当初柿葺で、その後世銅板葺屋根に改められ現在に至っています。その構造形式は室町時代の地方的風調があります。
拝殿
本殿
本殿妻彫刻
本殿虹梁下彫刻

境内社:宝壽森稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂神
初午祭 旧初午の日、夏祭 旧6月8日
230年位前から祭られている。石祠に「正一位宝寿稲荷大明神安永き庚子六月二六日」と刻印あり。
宝壽森稲荷神社境内全景
宝壽森稲荷神社を護る享和元年生まれの狛犬
小顔で逞しい体躯の持ち主ですが、風化による劣化が激しく、残念な姿になってしまっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(享和元年(1801)辛酉6月建立)
宝壽森稲荷神社拝殿
宝壽森稲荷神社本殿
境内社:少弐神社
少弐神社社殿
御祭神:少弐政資公
少弐祭 5月30日
大宰府の長官だった少弐政資公は、 山口の大内氏との抗争の末、佐嘉の地に来て、 先考少弐教頼公が築いていた與賀城(現在の赤松町龍泰寺一帯)を1482年に復して居城となし、当神社を鬼門の鎮守と崇め社殿を修復し神事を修飾した。
佐賀の中世史は竜造寺・鍋島氏らで始まるが、それ以前少弐氏は肥前守護職であって、竜造寺氏らは土着武士として少弐氏の配下にあった。守護職として少弐氏は当神社に多大の功績を残されており、昭和27年重要文化財楼門解体修理落成を記念し、與賀神社再興・郷土開発の守護神として、少弐政資公を祀り現在に至る。
境内社:天満神社
御祭神:菅原道真公
学問の神様。石造の祠で天神像を納めてある。祠には執行天神と刻印ある。
粟島神社 御祭神:少彦名命
佐太神社 御祭神:佐太大神
例祭 4月3日
御婦人の疾病守護・熱病平癒の神として多くの御婦人たちが参列される。

境内社:佐賀恵比須神社
御祭神:恵比須神・大国主神
1月9・10日・初えびす大祭
明治37年に地元の有志が兵庫県の西宮神社におもむき恵比須・大国主の御分霊を戴き祀ったのが始まり。
大国主神像 恵比須神像
佐賀恵比須神社社殿
社殿前に並ぶ恵比須像
佐賀恵比須神社社殿内部
末社群 末社群
末社群 末社群
末社群 末社群
中島白雲筆塚
境内隅にいる先代狛犬達
多分、一対の先代狛犬
お腹の下の刳りも少なく、初めに近い古い狛犬と思われますが、磨耗が激しく、表情も良くは読み取れません。
一体だけのもっと古いと思われる初め狛犬
顔の部分は総て線刻で、円柱形の体にあるかなしかの手足が付いています。佐賀市・八幡宮にも同様の狛犬がいますが、出自は不明のようです。
推定樹齢1100年のご神木・大楠
推定樹齢1100年のご神木・大楠
歌碑・青空を頤でしゃくって面浮立
推定樹齢1400年の県天然記念物指定ご神木・大楠
根回り・25m50cm、枝張り・東西37m、南北25m