綾部八幡神社

三養基郡みやき町原古賀2338(平成23年8月6日)

東経130度26分36.34秒、北緯33度21分26.04秒に鎮座。

 この神社は中原駅の北約1.5kmに鎮座しています。長崎自動車道の南側で東と南は住宅地、北と西は山の端という環境に立地した神社は、31号線・綾部神社前信号から真っ直ぐに北に入って行くと、参道脇の茶店などで鎌倉時代に源頼朝に従った綾部の地頭が、奥州征伐の凱旋の際に兵士たちにふるまった祝いの餅・ぼたもちが売られ、長閑な雰囲気の中に鎮座していました。
 参道入口に一の台輪鳥居、神社へと上がる石段参道前に二の肥前鳥居が立ち、今は水が流れていない所に神橋が架かっています。二手に分かれた石段参道の右側には境内社の稲荷神社が祀られ、左の石段が境内へと続いています。石段を上がっていくと境内入口には重厚な神門が建立され、境内右には神楽殿、左には土俵と舞台が配され、参道左に旗上げ神事で使われるご神木・銀杏が聳えています。
 境内中央奥には、阿は蹲踞、吽は構えの寛政10年生まれの狛犬が護る唐破風付拝殿・弊殿・本殿が建立され、その左右に天満神社、八坂神社が祀られていました。
 高台にある境内は風が通り抜け涼しく感じられ、豊かな鎮守の杜の中、静寂が漂う「これぞ日本の神社!」と思わせる、神寂びた雰囲気が漂っていました。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、住吉大神、武内宿祢、風神二柱
 祭礼日:夏祭・7月15日(旗上式 五穀豊穣祈願祭)、秋祭・9月彼岸中日(例祭 浮立) 翌日(旗下式 五穀豊穣感謝祭)、 中祭:1月1日・元旦祭、1月3日・元始祭、2月17日・祈念祭、9月1日・九千部山詣、12月31日・大祓式
 境内社:稲荷神社、天満神社、八坂神社
 由緒:文治5年(1189)7月右大将源頼朝公奥州藤原泰衛を征伐の祭、当綾部の庄の地頭綾部四郎太夫通俊、弟加世新太郎通宗等は手勢を率いて従軍した。其の砌り鎌倉の鶴岡八幡宮に参詣して祈念をこめたがその神霊の加護により忠勇群を抜き、公帰陣の後、其の恩賞として綾部庄五百町歩と、たとい子孫中罪科を犯しても三度までは寛免するの奏書を賜り肥前第一の御家人となった。通俊は元久2年(1205)鶴岡八幡の分霊を勧請して社領百町歩を寄進し東肥前の鎮護の神として大いに尊崇した。これが当社の起源である。又、平安朝村上天皇大暦5年夏綾部郡風水害の折り、隆信沙門という傑僧が九千部山頂に於いて風神に祈念し法華経九千部を読誦して殉じたと言う。よってその徳をしのび九千部山の風神二柱を合祀したのである。以来、神木に麻旗を掲げ天気を予知する便りとした。これは日本最古の気象台で日本三旗の一つである。これより風神は農業の神として大いに崇敬されて今日に至る。
(境内由緒より)

【旗上げ神事】
 7月15日、小学生の子どもみこしの後、社前に立つ樹齢700年余のイチョウの木(神木)に長さ18mの竹の先に麻で作った神旗をつけ、木登りができる3人の男が神木の先に取り付ける神事。秋分の日の翌日の旗降しの日(秋祭り)まで、この旗のなびき具合をみて風雨の襲来や農作物の豊凶を占う。綾部八幡神社が、「日本最古の気象台」といわれているゆえん。
(サイト「プチたび」より)

「綾部八幡神社由緒及年中行事」拡大写真はこちらで

神社遠景
参道入口
参道入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
社頭
二の肥前鳥居
神橋
石段参道 猿田彦太神
稲荷神社入口 稲荷神社境内に置かれた石仏
鳥居に掛かる額と社殿
参道の様子
入口付近に聳えるご神木
石段参道の様子
境内入口へと続く参道の様子
重厚な神門
境内の様子
拝殿前、寛政10年生まれの狛犬
阿は蹲踞、吽は構えの一対で、1800年前後の数十年の間だけに鳥栖・三養基郡辺りで見られる狛犬です。滑らかな体躯に肋骨らしき線が彫られ、鬣が身体を覆っています。又、同系統の狛犬の中では尾の華やかさに特徴が見られますが、殆ど酷似の狛犬がみやき町東尾・若宮八幡神社でもみられます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政10年(1798)戊午8月吉日建立)
拝殿
弊殿
本殿
境内社:天満神社 境内社:八坂神社
陰陽石?
神楽殿 土俵と舞台
ご神木・樹齢700年の銀杏
境内に聳えるこの銀杏は「風神祭」といわれる旗上げ神事にて使用されるご神木で、7月15日に天辺に麻で作った神旗が立てられてから、秋分の日の翌日の旗降しの日までの旗のなびき具合から、風雨の襲来や農作物の豊凶が占われるのだそうです。この神事がこの社が「日本最古の気象台」といわれる由縁となっています。
佐賀名木100選に選ばれたご神木・銀杏
推定樹齢・770年、樹高・29m、幹回り・6.8m、枝張り・26m
推定樹齢400年のご神木・ムクノキ
清々しい鎮守の杜の様子