堤雄(つつみお)神社

杵島郡江北町佐留志2630(平成23年8月7日)

東経130度10分09.09秒、北緯33度13分10.83秒に鎮座。

 この神社は肥前山口駅の北東約600mに鎮座しています。
 参道入口には「正一位社」と書かれた一の肥前鳥居が立ち、一般道と共用の参道を約250m程進むと石段の参道が出てきます。石段参道は高砂運動広場脇を通り、途中、二の鳥居を経て尚も延々と続き、そろそろ疲れを感じる頃下の境内に到着。
 三の鳥居の後ろには日露戦役記念碑、招魂社、征清軍祈念碑等の石碑が立っています。社殿が建つ上の境内へは未だ二十数段の石段の参道があり、上の境内正面には二対の狛犬に護られた、唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿、流造の本殿が建立されています。
 境内右手には多数の石祠、石碑等が建ち並び、特に祇園宮には5体の肥前狛犬がいました。
 背後のなだらかな山々の森に抱かれ、広大な社地を持つ、古社としての風格・年輪が感じられる素敵な神社でした。

 御祭神:成満公(藤原不比等公御連子)、猿千代麿、石若麿
 祭礼日:10月19日(おくんち 神輿、面浮立)
 境内社:稲荷社、太神宮、山神、天照太神宮、水神、祇園宮等多数
 由緒:仁和元年従五位上に叙された堤雄神を祀る古社である。室町時代に地頭前田氏の尊崇篤く、後に永禄年間竜蔵寺隆信が肥前国を領するや本社を祈願所となし、社領を寄せた。
(「神社名鑑」より)

神社入り口から約250m程手前にある参道入口
参道入口に立つ一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額「正一位社」
一般々と共用の参道の様子
石段参道入口
高砂運動広場脇を通る石段参道
二の鳥居
石段参道
下の境内入口
下の境内に立つ三の鳥居
日露戦役記念碑 招魂社
石祠 征清軍祈念碑
御堂
(舞台のように見えますが、この地域では単に「御堂」と呼んでいるそうです。)
石段参道
上の境内入口
上の境内の様子
拝殿前、明治30年生まれの狛犬
入道頭で古武士の様な厳格な雰囲気を感じさせる狛犬です。前足が短めで寸胴やや胴長の身体、縦ロールの鬣の先が渦を巻き、尾も何本かに分かれ装飾的になっています。明治生まれとしては古色蒼然としているので、先代を模した物かも知れません。
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(明治30年(1897)11月吉日建立)
拝殿前、昭和48年生まれの陶器製狛犬
犬型で逞しく、鬣や尾の装飾性に富んだ狛犬です。
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(昭和48年(1973)10月吉日建立)
唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿
流造の本殿
御宝殿 稲荷社
仏塔、石碑等 太神宮等
石祠、石仏等 太神宮、山神等
天照太神宮、水神等 石祠等
石仏、石祠 石仏、石祠
石祠 大黒天像、石碑、祇園宮、狛犬
祇園宮を護る肥前狛犬5体
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