天子神社

鹿島市音成2036 (平成30年12月26日)

東経130度08分45.65秒、北緯33度03分59.41秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・肥前七浦駅の西南西200m程の辺り、音成の街中に鎮座しております。

御祭神 

由緒
七浦音成の天子神社は、かつては海岸に突き出た岬であったと思われる、小高い丘陵の突端に鎮座しています。祭神は瓊瓊杵尊でその創祀は古く、天平年間(729〜748)に、日向国(宮崎県)高千穂の大神を分祀したものと伝わります。
かつては日出岡社とも呼ばれ、相当な大社で七浦郷中の鎮守神として崇められました。鎌倉時代の建保年間(1213〜1219)には、相馬中務庄司という者がこの地に秀岡城を築き、神社を城の守護神とし天子宮と改めたといいます。戦国時代、龍造寺隆信もこの神社を厚く信仰し、神楽料として山林を寄進しました。江戸時代には、佐賀本藩領となりましたが、今も神楽山と呼ばれる土地が残っています。
毎年9月の第2日曜日に開催される秋祭りには、音成の面浮立(県指定重要無形民族文化財)が奉納されます。面浮立には一般的に、神前へ出るまでの道行の所作を演じる曲目、その他法楽的な曲目があるとされますが、音成の面浮立は法楽的な曲目が少なく、余興的要素があまりみられないのが特徴で、初期の面浮立の要素が最もよく継承されています。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

三の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿


石祠等