籾神社

神埼郡吉野ヶ里町大曲1465 (平成29年4月3日)

東経130度23分55.34秒、北緯33度20分04.59秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・吉野ヶ里公園駅の北2km程の辺り、大曲街中の小さな古墳の頂に鎮座しております。

御祭神 日本武尊・倉稲魂命・草薙御剣

由緒
尾張熱田神宮の分霊を天暦8年(954)に奉斎したと伝えられている。
神殿、拝殿は天保10年(1839)焼失し、弘化3年(1846)再建されている。鳥居の額束は、「熱田宮」で、石華表に貞享2年(1685)建立とされ、地元89名の氏名と、辛上村中、鳥の隈村中、諫里村中と記してある。
村中に一つの小さな丘があり楓の大樹が覆っていた。紅葉時には燃えるような美しさであったという。村に善太郎という者がいて、この楓が作物の妨げをするというので伐ろうとすると、斧が飛び、大雨、雷が轟き、大洪水が起こった。村人は大いに恐れ、この丘に祠をたて、紅葉の燃える韻をとり「揉権現」と称えたという。
永禄7年(1564)に害虫が発生し、作物を害し、さらに疫病が大流行し人馬が次々に亡くなるなど大凶の兆しを示していた。領主江上氏は、神職に命じ虫除けの祈願を行わせたところ、災厄は去り豊作を迎えることができた。その後、「揉」を「籾」に改め「籾権現」としたと伝えられている。
神社敷地は、人工的に盛った古墳と思われる。縞模様の地層が見られ、戦時中に防空壕を掘った際に、鏡、須恵器が出土している。大塚ヶ里地区の小路に「籾の塚」の地名があるが、これは、土を盛った「盛りの塚」、塚を守る「守の塚」からきたと伝えられている。
境内由緒書き より。

神社全景

神橋

肥前鳥居

神門

拝殿

拝殿前の岩乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(文政11年(1828)戊子5月吉旦建立)

拝殿内部

本殿


石碑
石仏