中原神社

佐渡市中原(平成19年4月28日)

 この神社は鍛冶町と中原の間を流れる石田川右岸に鎮座しています。一般道の柱の陰に隠れるように設置された社号標には「村社 中原神社」、社殿の額には「若一王子神社」とあるので、明治時代以降「若一王子神社」に近隣の社が合祀されて村社となり、地名を冠した「中原神社」に改称されたものと思われます。
 古記録には「万福寺薬師如来は河原田殿の兜の守り神であった、「佐渡寺社細見」には石田の若一王子社(中原神社)の御神体であった。」「寛文11年(1671)-中原若一王子神社の社人矢田理兵衛は、田畑屋敷を弟長兵衛にゆずる」「明和2年(1765)-中原村若一王子神社祠官矢田石見、由緒など御答書きを奉行所に差し出す」「嘉永2年(1849)-中原若一王子神社再建棟札」「安政3年(1856)-中原若一王子神社能舞台再建棟札」等が残っています。
 例祭日は、延宝期は9月末日でしたがまもなく9月8日となり、明治に入ると6月8日に改められました。例祭神事は古来春秋二季の祭礼で、春は湯立神楽、秋は流鏑馬が行われていましたが、延宝4年以後流鏑馬は廃止され能が行われました。春の湯立神楽も一旦は復活しましたが明治になって廃されました。有名だった神事能も明治15年から神輿渡御・神子神楽・鬼太鼓(豆蒔き)下りは・引台歌舞などに変更されました。この社の神事能は相川に次いで早くから行われ、竹田(真野町)大膳、栗之江(畑野町)加茂、潟上(新穂村)天王を加えて国仲四ケ所の御能場の筆頭に上げられ、現拝殿となっている能舞台は、佐渡を代表する能師潟上の本間家、相川の遠藤家の合同稽古場でもあったそうです。(佐和田町史より)

社号標「村社 中原神社」 神社入口
神社入口にいる明治40年(1907)生まれの、縦置き、構え獅子。原型は出雲にあるのでしょうが、完璧に佐渡の狛犬になりきっています。お尻も余り上がっていないし、尾はド〜ンと太くお尻の上に乗っているし、何より厳ついようでいて為りきれない愛嬌のある顔つきや、身体の模様が面白いですね。上新穂の日吉神社の狛犬にとても良く似ています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治40年(1907)9月建立)
元、能舞台だった拝殿
今でも中柱を抜くと演能が出来るようになっています。
拝殿の社額
「若一王子神社」
本殿覆い屋 境内社・稲荷神社
ご神木のタブの木