日吉神社

佐渡市上新穂1008(平成19年4月30日)

 この神社はすぐ東側に新穂小がある、65号線に面して鎮座しています。旧郷社で、広く明るい境内では家族連れが遊ぶ、由緒と格式のある中にも親しみの持てる神社でした。参道途中には朱の両部鳥居が建ち、その裏側では烏帽子・裃姿のお猿さんが社を見つめていました。神橋にも4匹の猿が彫られ、向拝の無い大きな拝殿裏にも本殿を見守るように置かれた烏帽子・裃姿のお猿さんが居ます。又、拝殿から離れて建っている本殿頭貫上には正装に身を包んだ三猿像が座っていました。入口に置かれた狛犬は阿吽共に右向きに造られている変わった子達です。日吉神社の神使いがお猿さんだとはいえ、こんなに沢山の神使いが居る神社は少ないのではないでしょうか?

 御祭神:大山咋神、大物主神、誉田別尊、建御名方命、八坂刀売命
 境内社:稲荷神社
 例祭日:4月12〜14日(山王祭)
 由緒:順徳上皇が佐渡に配流されて後、随臣蔵頭池清範は、上皇が日頃崇拝しておられた近江の日吉大社に詣でて、佐渡におられる上皇に後鳥羽上皇の御密旨を伝えさらに速やかに帰京できるように祈願し、奉賽として神霊を佐渡に分霊することを誓いました。そして鎌倉幕府の許可を得、佐渡に下り上皇に申し上げたところ、上皇もこれを許し、嘉禄二年(1226)山王七社を創建しました。
 現在で言うところの「日吉(山王)七社」とは、比叡山に鎮座する延暦寺の守護神で、大宮・二宮・聖真子・八王子・客人・十禪師・三宮の七社を指します。この社は、その第一・山王大宮権現(大山咋命)、第ニ・山王二宮権現(大物主命)の二社を合殿で祭っていました。
 明治7年(1874)二宮権現を日吉神社と改め、大宮権現を大神神社と改称し、さらに明治11年、二社を合わせて日吉神社と改称しました。(「平成佐渡神社誌」参照)
 4月12〜14日の山王祭は750年の由緒と歴史をもつ古式ゆたかな春祭りで、日吉神社7社による大祭では鬼太鼓、射手、下り羽、みこし等が出され、古事にならった諸行事が昼夜にわたって行われています。

社号標「郷社 日吉神社」 境内の様子
参道に建つ朱の両部鳥居 鳥居の社額裏にいる神使い
烏帽子・裃姿のお猿さん
明治44年生まれの構え獅子
写真が変だと思いませんか? そうです、この子達は向かい合わず阿吽共に右向きに造られているのです。これで同方向向きの狛犬を4対見たことになります。謂われのあるもの、石工さんの遊び心…と色々な理由はあるでしょうが、非常に珍しい狛犬です。でもここの狛犬は阿が見返りで顔だけは向き合っている形を取っていますから、和気藹々…仲良しさんに見えますね。もう一つの特徴は大きく派手な尾です。不安定な感じでお尻の上に乗っている尾は、大きな渦か大輪の牡丹の花か分からない渦巻きの周囲に、恐竜の背びれのようなものが付いています。これも変わっていますね。今回の佐渡狛犬捜しの旅では一番の変わり種ではないでしょうか? 尾の派手さでは福島の小林和平さんの狛犬や、四国の狛犬の尾の大きさとタメを張る狛犬といえますね〜。また中原神社の狛犬にそっくりです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治44年(1911)4月建立)
参道途中の神橋親柱に寄りかかるようにして祈る
神使いのお猿さん
向拝の無い大きな拝殿 拝殿裏の軒下に本殿を見守るように置かれた烏帽子・裃姿のお猿さん
本殿
本殿頭貫上に座る、「見ざる・言わざる・聞かざる」の正装に身を包んだ三猿像
境内社・稲荷神社 神輿倉