田蓑(たみの)神社

大阪市西淀川区佃1-18-14(平成20年1月4日)

東経135度27分3.78秒、北緯34度42分54.54秒に鎮座。

 この神社は阪神本線・千船駅の北東約800m、佃の北端にあり、下町情緒あふれる町並みの中に豊かな鎮守の杜があり、ひっそりと静かな佇まいを見せ建っています。兵庫県との県境に位置するこの辺りも阪神大震災では多大な被害を被ったようで、この社も鳥居・社号標等が倒壊し、再建されていました。
 長い参道は緑が豊かで、境内にはいると左手に、この社縁の「佃漁民ゆかりの地」碑、「紀貫之歌碑」、「謡曲“芦刈”と田蓑神社」碑などが建ち並び、往時の姿を想像するよすがとなっています。正面に建つ大きな拝殿奥が住吉四神を祀る本殿・四社殿。朱と白のコントラストが利いた綺麗な社殿でした。その本殿・四社殿脇に大阪府最古の元禄15年(1702)に建立されたという非常に整い良くできた狛犬が居て、回廊の外からですが垣間見る事が出来ます。また、社殿左脇には東照宮・金比羅宮、七重之社、稲生社が整然と祀られ、ここにも本殿脇の狛犬に似た昭和2年建立の狛犬が居ます。社殿右奥が裏参道の入口ですが、ここにも堂々とした天明7年(1787)建立の入道っぽい浪速狛犬が居ます。
 私は子供の頃ここ田蓑神社の分霊を勧請し奉祀した、東京佃の住吉神社の氏子でしたし、夫の父親は佃の生まれ。お互いに東京佃の住吉神社とは縁があり、その住吉神社の分霊元がここ…ということで、なんだか余計に親しみが沸いたように思いました。

 御祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后
 例祭日:7月31日・夏季大祭、10月16日・秋季例大祭
 境内社:東照宮・金比羅宮、七重之社、稲生社
 由緒:由緒書きを要約すると、「この社は貞観11年(869)に創建され、神功皇后が三韓征討後、船を難波へ着けられた時、海魚を献じたと伝えられる古社です。当地はもと田蓑島と称しこの社も田蓑嶋神社と称しており、社傍に田蓑という池があったといいます。いまも御神宝としてあがめられる御船の鬼板は、神功皇后より賜ったといわれています。
 天正14年(1586)徳川家康公が摂津多田の廟に参詣の時、田蓑島の漁夫が漁船をもって神崎川の渡し舟を勤めました。そのおり田蓑島の住吉神社にも参拝され、その縁により、漁民等には、「全国どこで漁をしても良し、又、税はいらない」という特別の褒美をいただきました。一方、「漁業の他に田も作れ。」と命じられ、その意をもって田蓑嶋を佃と改め、後、寛永8年(1631)徳川家康公が奉られることになりました。
 江戸時代までは住吉明神とか住吉大神宮と称されていましたが、明治維新後に田蓑神社と改称しました。」と記載されています。

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神社遠景 社号標
神社入口 参道の様子
参道脇に建つ
阪神大震災で壊れた旧社号標
境内入口
境内と拝殿
拝殿内の様子

本殿四社殿脇に居る元禄15年(1702)生まれの狛犬
建立年代が明記された物の中では大阪府最古の狛犬です。横顔は和犬に似た穏やかな顔つきですが正面から見ると眉の太い凛々しいお顔です。吽には角が付いています。この年代の狛犬としては、非常に整った良くできた狛犬です。大阪府最古の狛犬という事ですが、これが後の浪速狛犬とどう結びつくのか…理解できませんし、これを浪速狛犬と分類して良いのかどうか?大いに疑問に感じました。
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(元禄15年(1702)正月17日建立)
本殿四社殿
境内社入口
境内社:東照宮・金比羅宮
東照宮・金比羅宮を護る昭和2年生まれの狛犬
本殿前の元禄15年生まれの狛犬を模倣したのでしょうか?顔つきが猿っぽくはなっていますが、鬣こそ違えとてもよく似た造りです。
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(昭和2年(1927)10月9日建立)
境内社:七重之社 境内社:稲生社

佃漁民ゆかりの地」碑・「紀貫之歌碑」・「謡曲“芦刈”と田蓑神社」碑案内はこちらで
佃漁民ゆかりの地」碑 「紀貫之歌碑」 「謡曲“芦刈”と田蓑神社」碑
天明7年(1787)生まれの浪速狛犬
阪神大震災で台座から落ちたのでしょうか?剥落や欠けた部分が見られます。吽は角つきで、頭が入道のようにツルツル、平面顔で瞳が彫られ、脚には筋肉の瘤々が見られます。
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(天明7年(1787)3月吉日建立)