土生(はぶ)神社

岸和田市土生町7-8-15 (令和2年1月5日)

東経135度23分36.06秒、北緯34度26分23.39秒に鎮座。

この神社は、JR阪和線・東岸和田駅の南東700m程の辺り、土生町の街中に鎮座しております。

御祭神 菅原道真公・武甕槌命・經津主命・天児屋根命・比淘蜷_・品陀別命

由緒
古老の傳ふる所に拠れば當部落は元山中と稱す人皇11代垂仁天皇の御代野見宿禰は土偶を以て殉死に代へむと請ひて許されし時、當所よりも亦此の土偶に用ふる幾多の埴土を供したる事ありしかば此の起因に由りて後に山中を改めて土生と稱ふ。然「而?」して元より今の有眞香村にある意賀美神社を産土神と仰ぎ居りき。然るに人皇73代堀河天皇の寛治4年(1090)正月白河上皇熊野行幸の御事ありて還幸の途次隣村別野に白蓮華の咲けるを看行はし給ひ熊野の霊夢に應ずる所ありと同所に熊野の神を鎮め給はんとて暫し踵を當所に駐め給へり。此の時土生の人々は常に産土神社の遠く隔たり居るを憂ひ居りしかば衆議の上源俊頼卿の執奏によりて土生に鎮守の神を鎮め奉らむ事の聴許を願出でたりしに、上皇は、天満天神を祀る可しとの宣旨を下し給ひき。即ち村民大に悦びて庄官山中次郎兵衛等16名の者俊頼卿に随ひ上洛して其旨を北野天満宮に傳へ其の御分霊を菅公御直筆の法華経壹軸とを拝受して歸り上皇の御駐蹕地に社殿を建立して之を鎮め奉れり、これが當社の起源にして實に寛治4年(1090)8月21日なり。・・・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保3年(1832)壬辰9月吉日建立)

二の鳥居

神門

拝殿

本殿


厳島神社鳥居

厳島神社社殿

厳島神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

稲荷神社鳥居

神社入口

祓戸神社

石祠