奥平神社

中津市二ノ丁 (平成26年3月28日)

東経131度11分19.02秒、北緯33度36分11.62秒に鎮座。

この神社は、中津城跡に鎮座しております。

御祭神 奥平貞能・信昌・家昌公

由緒
ご神体は、奥平家中興の祖、奥平貞能・信昌・家昌公三柱の御祭神をお祀り申し上げております。
のちに宇都宮城(栃木)を経て宮津城(京都)から入城した七代目、奥平昌成公は中津城入城の翌年享保3年(1718)正月、城内二の丸にあった観音院を祈祷所と改称し、11代目昌高公が天明7年(1788)、祈願所を長福寺と改名いたしました。現在の中津裁判所がその旧敷地であります。
ご祭神の貞能・信昌・家昌公は永禄3年(1561)より元亀・天正・文禄を経て慶長19年(1614)に至る58年間、幾多の戦功をたてられて徳川氏に忠節を尽くしてきました。
特に奥平家二代目の信昌公は関が原の合戦後、初代京都所司代として綱紀を振るい、凶賊から庶民を護りました。後世武士の鑑として徳川300年の礎を築き、人々から義勇と武功を称えられました。
境内由緒書き より

入口と鳥居

神額

参道

拝殿

本殿