十二柱神社

桜井市出雲650(平成19年1月3日)

 この神社は出雲地区の中央辺り、国道165号線の北を通る旧伊勢街道に面して鎮座しています。右側には駐車場、左は住宅地、という参道を抜けると数段の階段で、その上が境内となっています。
 境内右側は児童公園、左には立派な社務所が建っていました。その境内入口では、多分日本中探してもここにしかいないと思われる、4人の力士に支えられた狛犬が、堂々たる姿で迎えてくれます。その右に字多田から明治16年に移されたという、野見宿禰五輪塔や顕彰碑が建てられています。野見宿禰は、垂仁天皇の時代に、当麻蹴速と我が国初の天覧相撲を取り勝者となった神で、この地は穴師の相撲神社とならぶ相撲発祥の地ということです。また、かって出雲集落の地場産業だった「出雲人形」は、垂仁天皇のころ土師氏の祖・野見宿禰が出雲の国から工人を連れ埴輪を作らせたことが始まりとされています。
 又、境内社として「武烈天皇社」がありますが、これはこの地が「武烈天皇泊瀬列城宮跡」伝承地とされているためでしょうか。

 御祭神:天神七代の神(国常立神、國狹槌神、豐斟渟神、泥土煮・沙土煮神、大戸之道・大苫辺神、伊弉諾・伊弉册神、面足・惶根神)
 地神五代の神(天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、彦波瀲武葺不合尊)
 例祭:9月13日、秋祭:10月第三土・日曜日
 由緒:旧村社で出雲地域の産土神社。大昔は、神殿が無く「ダンノダイラ」の磐座を礼拝していたようです。武烈天皇の壇場(たかきみくら)を設けた泊瀬列城宮跡ともされていますが、創建は不詳です。
 境内社:愛宕社、金山彦社、金刀比羅山社、厳島社、武烈天皇社

社号標 参道の様子
文久元年(1861)生まれの狛犬。
野見宿彌信仰の影響でしょうか?
台座を4人の力士が懸命に支えています。
(文久元年(1861)8月吉日建立)
境内入口の文久元年の狛犬を持ち上げている力士像。
各4人で一匹の狛犬を支えています。
今まで数限りなく沢山の狛犬を見てきましたが、
力士が支える狛犬は初めてです。
これも野見宿彌信仰の影響でしょうか?
拝殿
「武烈天皇泊瀬列城宮跡」の碑
  
本殿玉垣前にいる大正7年生まれの狛犬。
ボリューム感のある体つきをしていますが、眼が細く、
眉毛が覆い被さっているので、何となく老成した感じのする狛犬です。
造りは丁寧ですが、苔やカビが体表を覆い、余り良くは見えません。
(大正7年3月吉日建立)
華麗なる銅葺一間社春日造りの本殿を左右から
本殿前、寄せ木造りの木像神殿狛犬。
羨ましいくらいスリムな体つきで、綺麗に彩色が施され、
何か話し合いながら、穏やかに本殿をお守りしている様に見えました。
この他に写真下にチラッと見えますが、
極小さな陶器製の神殿狛犬がもう一対居るようです。
本殿左、境内社
愛宕社、金山彦社
本殿右、境内社
金刀比羅山社、厳島社
武烈天皇社
(小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)命)
第25代武烈天皇(489〜507、在位:498〜506)は、「日本書紀」に「頻りに諸悪を造し、
一善も修めたまはず」とあるように、暴虐の限りを尽くした非常に悪劣なる天皇として
描かれていますが、一方では厳格な裁判を行ったとするなど相反する記述が見られます。
又、「古事記」にはそのような記録は全然見あたりません。
これは「書紀」により、次代の継体天皇即位の「正統性」と「正当性」を印象付ける為の
操作が行われたと考えられ、武烈天皇を漢籍によって暴君に仕立てたとする説が一般的な様です。
武烈天皇社の神殿狛犬
素朴な一木造りで、まるで円空彫りのような感じです。
吽には髷の様な角が付いています。
素朴で暖かい感じの、武烈天皇の印象とはかけ離れた狛犬です。
又見方によっては相撲取りの様な顔をしています。

狛犬の拡大写真はこちらで