相撲神社

桜井市穴師 (平成17年1月3日)

東経135度51分31.20秒、北緯34度32分29.31秒に鎮座。

相撲神社という名前に惹かれ、垂仁天皇の時代に当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が、生死をかけた相撲を取ったと伝えられる、国技相撲発祥の地の神社というので来てみましたが、行きは見つからず。大兵主神社からの帰り道、小さな社殿が見えたので冗談に「これがそうだったりしてね」等と言いながら道路を回り込むと、相撲神社の小さな看板。冗談が冗談では無くなりそうな気配。トホホ・・・。それでも気を取り直して境内に入りましたが社殿らしき物も土俵も見つかりません。何となく丸く土の盛り上がった所が土俵かな?などど思いながら奥へ進み、やっとさっきの小祠が相撲神社の社殿だった事に気が付きました。嗚呼、脱力・・・。『本当にこんな所で奉納相撲をとったのかしら?ウッソー!!』等と思いながら帰路につきました。

国技発祥の地
天覧角力・開祖 相撲神社
国に国歌国花があるが如く、日本の国技は相撲である。相撲は、もとは神の信仰から出て、国土安穏、五穀豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり、第十一代垂仁天皇の七年、野見宿禰と当麻蹶速が初めて、天皇の前で相撲をとり、相撲節(七月七日)となり、それがもとで後世、宮中の行事となった。
昭和三十七年十月六日大兵主神社に日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)を祭主に二横綱(大鵬・柏戸)五大関(琴ヶ浜・北葉山・栃ノ海・佐田の山・栃光)をはじめ、幕内全力士が参列、相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ、この境内のカタヤケシの土俵に於て、手数入りが奉納された。
境内由緒書より。

神社入口と鳥居

社殿