檜原神社

桜井市三輪 (平成26年10月6日)

東経135度51分27.17秒、北緯34度32分06.46秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
有名な「大神(おおみわ)神社」の境外摂社で、大神神社の北1km程の辺りに鎮座しております。奈良を知る「日本書記の山辺道 (やまのへのみち)」の著者、井忠義さんの解説で山の辺の道を歩き、当社を参詣しました。

御祭神 天照大神若御魂神・伊弉諾尊・伊弉册尊

(元伊勢)桧原神社と豊鍬入姫宮の御由緒
大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎主)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。
そのことにより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
桧原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ッ鳥居を有してることが室町時代以来の古図に明らかであります。
萬葉集には「三輸の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。
また「茅原(ちはら)」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原 (かむあさぢはら」の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。
大神神社
境内案内板 より

正面入口

拝所

三ッ鳥居、本殿は有りません。


豊鍬入姫宮。由緒書きはこちら。

拝所

社殿


写真左に社務所&修学旅行の生徒達

振り返って

写真右に社務所

御朱印