一の鳥居から御本殿

 169号線沿いに立つ重要文化財・一之大鳥居。ここから表参道は800mほど真東に向かうと万葉植物園春日大社神苑にぶつかり、南東に進路を移して400m程進むと重要文化財・車舎を経て二之鳥居にたどり着きます。
 二之鳥居を潜るとすぐ左手に伏鹿手水所があり、その左に境内社:祓戸神社が祀られています。ここから参道は又真東に続き、左手に建つ重要文化財・着到殿を過ぎると南回廊に祀られる摂社:榎本神社を眺めつつ、石段を上がり三叉路を左に取ると重要文化財・南門と南回廊へと到着します。
 南門を入ると正面に重要文化財・幣殿・舞殿が建ち、案内に従って参道を行くと右手の回廊内東側に境内社:井栗神社、穴栗神社、辛榊神社、青榊神社と共に、伊勢神宮遥拝所があり、正面の大きな賽銭箱の奥に重要文化財・中門・御廊が見えます。平常時なら神符授与所で特別拝観の受付をしていただいて初穂料をお納めすると、国宝・御本殿等が拝見できるのですが、お正月は無理のようでした。御廊左側に聳えるご神木・大杉の根元には岩本神社が祀られ、その他境内社が何社か奥にあるようですが、ロープが張られ、一般の参拝者は中へは進めませんでした。
(地図は境内案内図に手を加えたものを使用、説明は公式サイトを参考にしています。)

社頭
入口左右に立つ大きな灯籠
入口に立つ重要文化財・一之大鳥居
平安後期、寛永11年(1638)の創建で、今では三条通との境界に立てられていますが、 古くは春日大社と興福寺旧境内との境に立っていました。気比神宮と厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一つで、高さ6.75m、柱間5.2mの大鳥居です。
一の大鳥居傍の表参道の様子
萬葉植物園傍の参道の様子


重要文化財・車舎
古い時代の車庫で春日祭や御幸の際、牛車などの乗物を入れた建物だと伝えられています。
二の鳥居前にいる岡崎現代型狛犬
(昭和43年(1968)10月吉日建立)
二の鳥居前に立ち並ぶ灯籠の中に狛犬や龍が支える変わり灯籠が見られました。
二之鳥居
一之鳥居より東へ約1.2kmに位置し、平安末期の創建。
二之鳥居を潜り御本殿へと向かう参道
社号標 伏鹿手水所
祓戸神社
二之鳥居を入った所にある境内社で、平安中期の寛弘3年(1006)にはお祀りされていた古社です。春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われます。
 
参道脇のご神木
重要文化財・着到殿(ちゃくとうでん)
3月の春日祭の折に御本殿での勅使参向之儀に先立って「着到之儀」が行われる建物です。平安・延喜年間の創建。
この石段参道を左に上がるといよいよ南門〜本殿へと参拝が叶います。
重要文化財・南門と南回廊
重要文化財・南門
南門は春日大社正面の楼門です。表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の門です。春日祭の折に、勅使(天皇陛下のご名代)が藤原氏以外であれば、この門より入ってお祭りを奉仕します。
重要文化財・南回廊
南回廊に祀られる摂社:榎本神社(式内小社)
春日の地主の神として尊崇され、本社御鎮座後一時安倍山にお遷りになったが、承平5年(935)再びこの場所へ御遷座になった。
榎本神社社殿と狛犬の壁面画
神符授与所
重要文化財・幣殿・舞殿
南門を潜ると正面に建立されている幣殿と舞殿です。東側2間を幣殿といい、西側3間を舞殿といいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。
回廊内東側に祀られる境内社:井栗神社
 
回廊内東側に祀られる境内社:穴栗神社
 
回廊内東側に祀られる境内社:辛榊神社
 
回廊内東側に祀られる境内社:青榊神社
 
伊勢神宮遥拝所
重要文化財・中門・御廊
中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門正面の唐破風は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。
国宝・御本殿
第一殿・武甕槌命、第二殿・経津主命、第三殿・天児屋根命、第四殿・比売神
創立:神護景雲2年(768)11月9日
春日の神々の鎮祭は奈良朝のはじめ、平城京鎮護のため、まず武甕槌命様を鹿島神宮(茨城県)から奈良・春日御蓋山頂に奉遷して祭られていましたが、それから数十年後の神護景雲2年に藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に初めて南面する神殿を創建して、さらに香取神宮(千葉県)の経津主命様、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖・天児屋根命様と比売神様の四柱を併祀したのがその始まりとされています。
(「神社紀行」よりスキャン)
境内社:岩本神社
御祭神:表筒男命、中筒男命、底筒男命(住吉三神)
例祭:12月16日
大杉の根元に鎮座する岩本神社は、中近世一般には「住吉社」と称されていました。当社蔵『天文二十二年正遷宮記』には「岩本社」とあり、明治初年、同じく当社末社で、奈良高畑丹坂町の住吉社と区別するため、岩本社と復称したと考えられます。古来より住吉明神として海神信仰、また歌神信仰があります。
ご神木・大杉
目通り周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年〜1000年
砂ずりの藤
慶賀門を入った所の棚作りの藤で、摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれており樹齢700年以上といわれます。ノダフジの変種で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名があります。
 

御本殿から紀伊神社