諫早市西里町770番地(平成24年8月20日)
東経130度04分36.13秒、北緯32度51分28.86秒に鎮座。
この神社は九州の守り神・四面宮会25社の1社で、長田小学校の南に鎮座しています。
一の鳥居は長田川左岸に立ち、そこから参道は西北西に約220m続きます。途中二の鳥居も建立されており、そこから先、参道は水田を突っ切り、大きな森のある神社へと向かっています。
入口には「西長田神社」の額を掲げる三の鳥居が建立され、石段を上がると境内。下の境内は横に広々としており、上の境内へと上がる石段脇にご神木の大銀杏が聳えています。上の境内正面には平成23年に落成したばかりの真新しい拝殿・弊殿・本殿が建立されています。
狛犬はいなくて寂しかったけれど、とても清々しい雰囲気の神社でした。
御祭神:宇賀魂神、天照大神、菅原道真公
祭礼日:主祭典は、祈年祭、新嘗祭、例祭の三大祭で、歳旦祭(1月1日)・元始祭(1月3日)・紀元節祭(2月11日)などの中祭があった。(現在は、歳旦祭が元日、田祈祷祭が6月下旬に行われている。)
由緒:西長田四面宮(通称=お四面さん)は、肥前国高来郡西長田村八龍名に創建されてより、約470年の歴史を有するお社である。
天文4年(1535)、西郷氏二代領主純久(肥前守)が『悪疫を除き西長田村内の安全の守り神として、殊に五穀豊穣の神として、西長田四面宮と称する小祠を造営、筑紫國魂神を尊崇した』と言い伝えられている。
西長田四面宮の東西には遠くに霊峯雲仙を望む。そして雲仙地獄入口の現温泉神社が四面宮の総本社であったが、一事は筑紫國魂神社と称し、筑紫の島(九州)の守護神として尊崇されてきた。また四面大明神の三の宮が伊佐早四面宮(現諫早神社)であり、その末社として西長田四面宮は造営された。
境内社として、猿田彦神を拝殿の左側に祀った。これは道案内・交通安全の神であるが、周辺の古街道をはじめ一の鳥居前が佐賀に続く多良街道であった。
沿革
・天正10年(1582)拝殿の左側に地蔵菩薩を祀り、子供の成長を祈願した。
・元和7年(1621)佐賀本藩領となって、明治初期の版籍奉還まで続いた。
・天明2年(1782)6月、拝殿の右側に「ふう神さん」を祀った。
・明治7年(1874)5月、西長田地区の村社に列せられた。同時に水田農耕の神である宇賀魂神と家内安全の神である天照大神を合祀した。
・明治22年(1889)東長田村と西長田村が合併して長田村となったので、氏子総代が村民に諮り、額束に「西長田神社」と銘記した。
・明治41年〜大正8年の間に、天満神社と改称された。
・大正9年(1920)2月神饌幣帛料供進の神社に昇格した。
・大正10年(1921)6月、拝殿を再建。
・昭和8年(1933)3月、神殿並びに弊殿を再建。
・昭和15年(1940)皇紀2600年、長田村が諫早市に編入される前、市制制定記念として天満神社に二町五反歩の水田が寄進された。しかし長田村内(八つの神社)の寄進田は終戦後の農地改革により、耕作者の所有となった。
・昭和32年(1957)7月、拝殿の修復工事が行われた。
・昭和44年(1965)12月、拝殿を鉄骨造りに建て替えた。
・平成23年(2011)12月、社殿が改築落成した。
長田川左岸に立つ昭和8年建立の一の鳥居 神社はここから約220m西北西に鎮座しています。 |
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一の鳥居から神社へと向かう一般道と共用の参道 | |
一般道と共用の参道途中に立つ昭和15年建立の二の鳥居 | |
水田を突っ切り、神社へと向かう参道 | |
社頭 | |
神社入口 | |
神社入口に立つ「西長田神社」の額を掲げる三の鳥居 | |
石段参道と境内入口 | |
境内の様子 | |
上の境内入口 | |
入母屋造りの拝殿 | |
拝殿に掛かる額 | 拝殿内の様子 |
流造の本殿 | |
石祠と石仏 |
境内に置かれている石製の額 | 皇紀2600年記念碑 |
御神木・大銀杏 | |
拝殿前から入口を振り返る |