葛井神社

茅野市ちの (平成22年8月28日)

東経138度8分39.15秒、北緯35度59分59.4秒に鎮座。

この神社は、中央自動車道・諏訪ICの東1km程の辺り、諏訪に近い「ちの」の街中に鎮座しております。廻りは今風のカタカナ名住宅が建ち並ぶ中、今ではあまり神秘的とは云えない雰囲気の池を背に北東向きに社殿は建っております。

葛井神社(九頭井明神)
はじめこの境内にある池が信仰の対象であったが、後、社殿を建て、槻井泉神を祀った諏訪神社上社の摂社である。境内に千本木欅の巨樹があり、池は葛井の神池といって古来諏訪七不思議の一つに数えられ、池にすむ魚はすべて片目であるといわれる。
「諏訪神社祭典古式」によると、十月晦日一年中の神事の幣帛と「机飯一膳御酒御穀」をそえて、雅楽一人にかつがせ、午前0時を期し、御室の「みあかし」と九頭井明神の「みあかし」を合図とし、拝殿の背面から神池に投げ入れる。これが翌朝遠州のサナギの池に浮かびあがるという伝説がある。
九頭井大夫の屋敷は社の東隅にあって、代々神官を勤め、現在矢島氏で、永禄九年武田信玄が九頭井大夫に宛た寄進状が伝わり、茅野市文化財に指定されている。

葛井神社は久頭井、楠井、久須井、槻井等とも書かれ、祭神は槻井泉神とされる。
祭祀の始まりは明らかでないが、古くから諏訪神社の末社であり、前宮とは関係が深い。
大祝の即位にあたって十三所の御社参りをする時の一社に入っていて、『諏方上下宮祭祀再興次第』にも祭礼や瑞垣、鳥居の建立について細かく触れられており、市有形文化財に指定されている九頭井大夫古文書からも当社の古さをうかがい知ることができる。
わけても、上社の年中神事の最後を飾る御手幣送りの神事は、この神社の性格をよく表している。大晦日、前宮において一年中の神事に手向けた幣帛、並びに榊・柳の枝、柏の葉等を御宝殿より取り下げて葛井神社へ運び、寅の刻(午前四時ころ)に前宮御室の御燈を合図に葛井の池に投げ入れる。すると卯の刻(午前六時ころ)に遠州のさなぎの池に浮かび出ると伝えられる。
また、葛井の池については、諏訪上社の七不思議にも数えられて伝説も多く、社叢もシロヤナギ、エゾエノキ、ケヤキなどの樹種に、枯れてはいるが樹齢推定650年のケヤキの古株もあり、貴重な風趣を残している。・・・・・
茅野市教育委員会。全文はこちら。

天竜川を通じて下流の遠州とは繋がりが深かったのでしょうか。諏訪が七不思議の一つなら、遠州は奇祭!。「桜ヶ池のお櫃納(ひつおさめ」。池の底に住む、龍神を供養すると云われるこの祭りは、十数人のフンドシ姿の若者が、赤飯の入ったお櫃を、池の中央で沈めるという祭で、静岡県の無形民俗文化財となっているのですが、何と底が諏訪湖とつながっていて、沈めたお櫃が諏訪湖で見つかったという。

神社遠景

鳥居。境内の車は御柱祭準備で集う、氏子さん達のようです。。

境内

拝殿

本殿

御神体の槻井泉神

ここから投げ入れるようです。


千本欅

御柱を立てる氏子さん達。掘るのは小型ブルドーザー、立てるのはクレーン車のようです。

御柱