立磐(たていわ)神社

日向市美々津3419 (平成26年2月8日)

東経131度36分50.74秒、北緯32度20分05.99秒に鎮座。

この神社は、美々津川とも呼ばれる耳川の河口すぐ南側に鎮座しております。

御祭神 表筒男命・中筒男命・底筒男命

立磐神社の由緒
当社は神武天皇御東遷の砌、美々津港より御船出し給うに当り、御航海の安全を御祈念せられて、この埠頭に住吉大神とも申し奉る、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎し給うたとて、第12代景行天皇の御代に創祀されたものである。
其後多くの変遷隆替を経ましたが、貴き伝説と特異の行事等は、今も尚連綿として継承されています。かくて永禄(1558〜1570)の頃より地頭の崇敬あり、祭礼行事も殷盛となっていました。然るに天正6年(約440年前)大友氏と島津氏との戦火に罹り、宝物文献記録等皆烏有に帰したのであります。其後元和9年(1623)に再興し、寛文(1661〜1673)宝永(1704〜1711)の頃完く旧観に復して、領主より神領を供せられて社殿増築をなし、又神事ある毎に寄進あり。かくて明治初年(1868)迄歴代藩主の崇敬せられた神社であります。
更に境内には「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩そのものを御神体として崇拝しています。明治4年(1871)郷社に列格、やがて昭和9年(1934)は恰も神武天皇がお船出せられて丁度2600年に相当するので、之を記念して国家的大祭典を挙行せらるるよう県当局へ申出し処承諾され、終に秩父宮殿下を総裁に仰ぎ、松平頼寿伯を会長に酒井忠正伯と君島知事を副会長として全国的な御東遷2600年祭典が斎行されました。
当社記念事業としては(1)境内を更に拡張整備した(2)竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸したる神のみあかし灯台が設置された。(3)日本海軍発祥の地の記念碑が建立された。(4)おきよ丸御東行巡路漕舟大航軍を挙行された。これは日向国の青年150名が漕舟して美々津港を船出し途中天皇がその昔寄港せられたという由緒ある処に寄港しつつ、其月浪波に上陸御楯を奉持陸路橿原神宮に奉納した末曽有の大行事でありました。
境内由緒書きはこちら。

参道入口

一の鳥居

手水舎

二の鳥居

参道の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(文政13年(1830)庚寅4月吉日建立)

境内

拝殿

本殿


磐座

松吉稲荷神社

神武天皇御腰掛之磐

神武天皇御船出の歌碑「日の草の赤が美栄えてとこわに瑞穂の国は栄えまつらむ」

磐座

御神木

美々津大橋側より見る本殿

対面の湊柱神社より見る当社遠景