熊野本宮社

名取市高舘熊野堂字五反田34(平成19年7月21日)

 この神社は国道286号線で仙台方面から仙台南ICに向かい、名取川の手前 山田の信号で右折。すぐ左折し栗木橋で名取川を渡り、道なりに名取川に沿って東に向かうと、道路脇に社号標というか案内板がたっているのですぐ分かります。参道が100m程も続きその間神社全体の様子が良く見えます。境内の正面には向拝の無い拝殿が建ち、本殿は未だ木の香が匂うような新しさです。本殿を取り囲むように廻らされた朱の塀内には、境内社が5社祀られていました。社殿左脇の神輿倉には宝暦4年(1754)生まれの狛犬も居ます。和歌山県の熊野三山の写し霊場ともいえる名取の熊野三山(熊野本宮社・熊野神社・熊野那智神社)の熊野大社(本宮 )に当たる社で、嘗ては青森県の恐山などと並び、東北地方の一大聖地として崇敬されていたそうですが、現在もかなり規模の大きな神社で、作物神として崇敬を受け続けているようです。

 御祭神:熊野櫛御家都御子大神、熊野牟須美大神、熊野速玉之男大神、他11柱神
 例祭日:春例祭・4月第3日曜日頃、秋例祭・(旧暦9月19日)10月第1日曜日頃(市指定熊野本宮社付属獅子舞踊奉納)
 境内社:春日社、稲荷社、高倉社、穂屋姫命、山神社、名取老女宮
 由緒:社伝によると、熊野信仰の深かった名取老女が紀伊国の熊野三社の分霊を勧請した名取の熊野三社(熊野本宮社・熊野新宮社・熊野那智神社)の一社です。
 始めは名取郡長岡三色吉に小祠を建てお祀りしていましたが、天仁年間(1108〜10)に熊野坐大神の神勅があり紀伊国の本宮の様な地形を捜し始めましたが、保安元年(1120)名取川を紀伊国の熊野川に見立て、社地の前を流れる小川を音無川に象り、小館の地を霊地として遷座し創建されました。小館の地は現在地より 420mほど南西の台地・大原の事で、その後、文治5年(1189)には源頼朝公奥羽東征の際に武運を祈願したといわれています。戦国末から伊達氏等の武家からの崇敬が篤くなり、永禄6年(1563)、伊達晴宗公より本宮社に対して神楽、御神馬、御馬道具一式 が奉納されたこともあり、万治元年(1658)現社地に遷座されました。
 現本殿は元禄6年(1693)に建造され、昭和8年に拝殿、摂社などが建造され、昭和58年に本殿を営繕し幣殿等が整備されました。

社号標 神社入口
参道途中から見える神社全景
参道途中に建つ皇大神宮、山神碑
参道途中に建つ庚申塔
境内入口 神楽殿
向拝の無い拝殿 本殿
本殿左脇の境内社二社
本殿右脇の境内社三社
境内左最奥の境内社 神輿倉
神輿倉前にいる宝暦4年(1754)生まれの狛犬
縦置きで阿吽の位置が反対です。阿は顎の先が欠損し、吽は左前脚を上げていますがこれも欠けています。高舘熊野堂字岩口上・熊野神社と同年の建立ですが、石工さんが違うせいか顔つきはやや似た感じがするものの造りは異なります。この時代の石工名に名字があるのは珍しいですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・岩下五郎作 宝暦4年(1754)8月吉日建立)
境内奥の清々しい竹林