熊野神社

名取市高舘熊野堂字岩口上51(平成19年7月21日)

 この神社はJR東北本線・南仙台駅の西北西約3.3km、名取川右岸に鎮座しています。嘗ては青森県の恐山などと並び、東北地方の一大聖地として崇敬されていたそうですが、現在もかなり規模の大きな神社で、参道も長く、境内はやや狭いながらも池を中心として平泉・毛越寺の庭園を彷彿とさせる優雅な佇まいを見せ、朱の垣内に建ち並ぶ3棟の本殿は江戸初期の建造で、県内に現存する唯一の熊野権現造の建物だそうです。又境内には新宮寺文殊堂や鐘楼が残され、神仏混淆の時代の名残が色濃く残されています。拝殿の前の池には石橋が架かり、池の中の小島に神楽殿が建てられていますが、春季大祭(花祭)には、池の中に仮設舞台が造られ、県指定無形民俗文化財の熊野堂舞楽が奉納されています。

 御祭神:速玉男大神、伊邪那伎大神、事解男大神、菊理姫神、他4柱を配祀
 例祭日:春例祭・4月18〜20日、秋例祭・旧9月9日
 由緒:この社は、熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と称しています。保安4年(1123)、長年紀州の熊野三社に参拝していた名取郡の一巫女が、老いのため熊野への長旅に耐えられなくなり、自宅付近に小社を営んでいましたが、人皇74代鳥羽天皇の神勅を拝し、奥羽の人々にとって遠隔の地である熊野の三社を模してこの地に三神を分霊・勧請したと伝えられています。以来奥羽鎮護の神として東北屈指の熊野信仰の中心地となりました。この社は其の熊野新宮に当たり、明治維新後、現社名に改称しました。
 その後、文治5年(1189)には源頼朝公奥羽東征の際に武運を祈願し、歴代伊達家藩主には神田神領を寄進されるなど深い崇敬を受けていきました。大正10年8月27日郷社に昇格、昭和10年11月1日縣社に昇進し今日に至っています。

神社入口 社号標
「縣社 熊野神社」
神橋と参道入口 境内左の新宮寺文殊堂
やや狭いながらも平泉・毛越寺の庭園を彷彿とさせる優雅な佇まいの境内
熊野堂神楽(県指定無形民俗文化財)は池の中の神楽殿で舞われるのですが、この社の別当は源頼朝が平泉を滅ばした時、奥州藤原氏方につき捕われたそうですから、浅からぬ関係があったのかも…。
池の中の神楽殿 神仏混淆の時代の名残を残す鐘楼
拝殿前、宝暦4年(1754)生まれの狛犬。
阿吽の位置が反対で、阿には角が付き正面を向き、吽はやや首を曲げて上向き、右前脚を上げていますが先が無くなっています。鬣は二段に分かれ先がカールし、後ろ足の甲が蛙のように長い狛犬です。賢い和犬のような顔つきですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・寶兵衛作 宝暦4年(1754)8月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子

県指定建造物・旧新宮社本殿(老女の宮を除く3棟)、
県内に現存する唯一の熊野権現造の建物です。
中央・証誠殿(新宮社) 東側・若宮(那智飛竜権現社)
老女の宮(御祭神・老女神) 西側・西宮(本宮十二社権現)
境内社 古峯神社、忠魂碑等