石巻市福地町85 (平成25年7月30日)
東経141度23分24.33秒、北緯38度31分58.37秒に鎮座。
この神社は、北上川の河口に比較的近い、川の南側すぐに鎮座しております。川の右岸に盛り上がる小さな山があり、嘗て山内左馬之助の居城といわれ、八幡山と称されていたようです。その北西山麓に鎮座しております。
室町末期山内(福地)左馬之助居城、江戸初期、仙台藩決戦の”詰めの城”と想定されたと伝わる所。
御祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)・船隠葦原醜雄尊(ふなかくしあしはらしこおのみこと)・倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)
由緒
葛西氏の重臣、釣尾城の城将山内左馬之助が天正年中(1590年代)京都男山石清水八幡宮の御分霊を勧請し、八幡山々頂に創建したのが八幡神社である。八幡神社と稲荷神社は共に山頂にあった別宮であったが、明治維新前後に、本宮を山頂から現在の山麓にお移し、別宮も同時に併せ祭ることとなった。
明治41年8月加茂小鋭神社に合祀されたが、昭和15年社殿新築の上、神社復村を出願、昭和27年8月18日宗教法人の認承を受ける。・・・・・
横川の守り神である八幡神社は、以前、現在の場所から山頂方向に約200米上った平坦地に鎮座されていたが、明治41年8月内務省訓令により、八幡神社、加茂小鋭神社と合祀されたものである。その後、紀元2600年、昭和15年、発案により、部落総会で決議され、樹齢700年、樹高35米余根本の周囲15米の大ケヤキのある現在地に鎮守として遷宮されたものである。・・・・・
境内由緒書き より
神社入口
拝殿
素朴な江戸流れ。拡大写真はこちら。 | |
(昭和18年(1943)8月15日建立) |
拝殿内部
本殿
稲荷社?
石祠 | |