櫛田神社

松阪市櫛田町724 (平成26年5月11日)

東経136度35分30.07秒、北緯34度32分47.52秒に鎮座。

この神社は、近鉄山田線・櫛田駅の北2km程の辺り、松阪市郊外の田園風景の中にある小さな集落の一角に鎮座しております。

御祭神大若子命(おおわぐこのみこと)・櫛玉命(くしたまのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・熊野大神(くまののおおかみ)

由来
人皇第11代垂仁天皇の22年(紀元前8年)皇女倭姫命が皇祖天照大神御鎮座の地を求められて当地にお成の節、御案内役として顕著なお働きをされた大若子命を当地の守護神としてお祀りする様御下命になりました。
之が櫛田神社の起源であり、今から約2000年も前の事です。当社の社格は高く皇大神宮の所管で宮七院社十二社の巻頭第三位に位置し櫛田の西方に櫛田大社として鎮座されました。今も此の地を社と呼びます。長い歴史の中で、幾多の変遷はありましたが明治41年(1908)12月神社統合令により一時神山神社に合祀されました。然し敬神深き氏子民の願望により昭和8年(1933)2月3日当中垣内724番地にお迎えし鎮座されましたのであります。
境内由緒書き より

当神社の主祭神である大若子命は、武人です。倭姫命が天照大神様の鎮座地を求めて伊勢の国を訪れられた折に、倭姫命の手足となって武功を挙げられ、自分が領していた南伊勢の地を伊勢の神宮に納められました。そして神国造となられ、後には神宮の大神主を兼ねられました。又、越の國(福井・石川・富山・新潟)征討を命じられ、見事に平定された功績により、朝廷から大幡主の名を与えられました。九州の博多櫛田神社では大幡主命としてお祀りされております。
境内由緒書き より

神社全景

鳥居と社号標

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

磐座

石碑

三重県美容業生活衛生同業組合によって建立された「櫛の碑」